行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題などに興味があります。「自分のこと」をことばで表現することで、こころのゆたかさをはぐくんでいます。このこころみのひとつひとつが、だれかのちからになっていたとしたら、とてもうれしいです。

いったい、これは充実しているのか?最近の日常。

仕事がおわって、家にかえると、午後7時か8時である。そこから、夕ご飯をたべて、ひと息つくと、すでに8時半から9時である。このあいだに、本をよんだり、新聞をみたり、録画したテレビをみたりする。そして、9時をすぎたころから、運動をはじめる。だいだいこれで、一時間ほど、たっている。お風呂にはいって、ひとやすみすれば、すでに時刻は午後11時をまわっている。


プロ野球選手に、35歳までに、どこまでちかづくことができるか」という、無謀な夢想を実現させるためには、効率的に時間をつかわなければならない。そもそも効率的に時間をつかうことは、野球をまなぶことに、かぎったことではない。仕事がおわったあとの、かぎられた時間のなかで、思想をみがく訓練もしなければならないし、お酒だってのまなければならないし、単なる性処理ではないレジャーとしてのオナニーもやらなければならない。また、恋愛という人間関係のことも、ぼちぼち、しっかりとやっていかなければ、貧相な中年をすごさなければならなくなり、思想をみがくという最大のたのしみが、あたまうちになってしまう未来は、容易に想像することができる。


人生には、やらなければならないことが、たくさんあるのである。どれひとつも、おろそかにすることはできない。ああ、そうだ。上にかいたようなライフワークにかぎらず、ライスワーク、つまり、たべていくための労働だって、手をぬくことはできないのである。


今日は午後7時まで、はたらいたが、9時半すぎから、約6kmをはしり、素振りを200回おこなった。


長距離をはしることは苦痛だが、しかし、はしるという行為には、それなりのたのしみと快感がともなっている。これは、ぼくがマゾヒスト気質のためなのか、それとも、マインドフルネスの技術を身につけたことを意味するのか。はしっているときは、まるで無心のようで、この感覚は、素振りをするまえのぼくには、なかったものである。


とかくするうちに、だいたい毎日、こんな時間になってくるのである。こんな時間とは、翌日の午前0時である。ぼちぼちねなければならない。


ねるまえにのむハイボールは格別である。これは、ここ一週間ほどの習慣である。


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