バッティングの動作は、「手がさき」だ。【落合博満】
ひさしぶりに、ブログをかいた。ひさしぶりに、すこし長文をかく気になったのだ。長文といっても、600字たらずくらいとおもうけれど。しかし、最近は、Twitterで、つぶやくことすら、やっていなかったのだから、やっぱり長文だとおもう。
内容は、いつものとおり、落合博満流のバッティング技術のことだ。無目的すぎて、だれのためにも、ならないことだけれど、ただただ、素朴に、探究することが、たのしい。こういってしまっては、身も蓋もないけれど、「35歳までに、プロ野球選手をめざす」などといっているのも、あそびごころをもって、おもしろがることが、継続のちからになるからだったりする。
さて、本題。
落合博満さんは、「バッティングは、手がさきだ」といっている。手がさきで、足(脚)と腰は、あとから回転させる。
イメージとしては、手がさきで、インパクトの瞬間に、足(脚)と腰を回転させて、バットにパワーをつたえる感じだろうか。これなら、ふりおくれて、さしこまれそうになっても、ちからまけせずに、右方向(右バッターの場合)に、つよい打球をとばせるような気がする。実際に、ボールをつかって、やっていないから、あくまで想像だけど。
このイメージで、バットをふる練習は、テニスをやってみるのがよいような気がした。これも、実際にテニスをやったことがなく、テレビでみただけの話なので、単なる想像の域をでないのだけど。なんか、テニスのイメージは、ラケットをまず手でふって、インパクトの瞬間に、からだを回転させて、ボールをうっているようなイメージがある。よくおもいだせば、テニスに対する、このようなイメージは、通勤途中にある公園で、おじいさんが、朝にひとりで、テニスのラケットをすぶりしている風景をみて、うまれたようにおもう。ゆっくりとした動作で、腰をおとし、右手でラケットをふりはじめ、脚と腰を回転させる素振りをくりかえしていた。
このように、着想したものだから、一度、テニスもやってみたくなった。いつまでも、ひとりで、シコシコと、素振りをやっているようでは、ダメかもしれない。実際に、やってみたい。
落合博満 バッティングの理屈―――三冠王が考え抜いた「野球の基本」
- 作者:落合 博満
- 発売日: 2015/07/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)