【新聞をよむ③】7月11日朝日新聞朝刊。「敵基地攻撃」に関して、「自衛反撃能力」などと憲法を骨抜きにしたような表現をもちいることへの疑問他。

友人から、「新聞の感想の記事やけど、すきやで」などと、いってもらえたものだから、これは、はげみになるし、たのしくつづけていけそうだ。三日坊主ではおわれない。ゆるくつみかさねていこう。


朝日新聞7/11朝刊】


○イージス・アショアの配備断念にいたった背景があるなかで、「敵基地攻撃」に関する議論が自民党公明党とのあいだで温度差がうきぼりになっているようだ。この議論のなかで、ふってわいてきた「自衛反撃能力」という物騒な表現について、おもうことがある。

憲法という基礎に、まったくかかれていないのに、いつのまにやら、「自衛反撃能力」という表現をもちいはじめ、あたかも、はじめから、それがみとめられていたかのような空気を醸成していく。こういうなしくずし的な方法が、日本社会では、割合よくとられているんだなあとおもう。職場など、自分のちかくをみていても、そうだ。

骨ぬきにされた基本は、もはや基本ではない。「基本や基礎は、忠実にまもっていくから、意味がある」ということは、落合博満から、まなんだことだが、日本社会では、それがあまり理解されていないようにおもう。日本社会では、個人主義につらぬかれた硬質な集団がうまれにくく、傷をなめあったり、ピッチャーフライをお見合いして落球するような、あまえの意識がつよい集団がおおいのは、このためだとおもう。


イラク北部の都市モスルが、イスラム国(IS)から解放されて、3年がたつらしい。いまでは、市場などの再建がすすみ、すこしずつ日常がもどってきているようだが、しかし、政府の支援がなく、瓦礫となった家々の再建はすすまず、いまだそのままだという。イスラム国の爪痕は、のこっている。

そういえば、イスラム国の勢力はいつのまにか、下火になっていたことをおもいだす。すこしググってみると、2019年12月ころには、勢力が再拡大しているという記事もあったが。

暴力とまではいかず、威圧的な態度くらいのものであっても、それを基本にすえることでは、集団や組織のまとまりを維持することは、むずかしいのだとおもう。長期的な視点にたてば、恐怖政治は、悪手だろうとおもう。

政治や会社組織のことはよくわからないが、生活者としての目線からいえば、平穏にすごすことができることが、なによりも、よろこばしいことだとおもう。為政者がどんな政治思想や経営理念をもっていても、ぼくは基本的には気にならないが、ひとつあげるとすれば、「だれも排除されることがなく、平穏に、のんびりと、すごしていける社会をつくる」という基本姿勢をもっていてもらいたい。


○「ながい在宅時間 かさむ電気代」ということで、新電力各社が割安プランを続々開発しているらしい。エネチェンジという会社が、首都圏中心の967世帯で平日の電気使用量をしらべたところ、緊急事態宣言後に急増していたという。そりゃそうだとおもう。ところで、エネチェンジという会社だが、先頃、ぼくのつとめ先にも営業をかけてきた。どんな会社か、しらなかったが、なるほど、朝日新聞が記事に、その調査をとりあげるほどではあるのか。これは、ええ情報だ。


ANAが21年度は、新卒採用を中止するという。新型コロナウイルスの収束がみとおせないからだ。ぼく自身の今後どのように職業人として、いきていくのかということについて、いろいろチャレンジもしてみたいが、しばし、まちの姿勢が懸命な判断かもしれない。いまの職場で、とりあえずは、精一杯やれることをコツコツとつみかさねていこう。


朝日新聞の土曜日の朝刊が、わりとすきだ。書評欄が充実していて、あたらしい本との出会いがあるからだ。今週は、この本がおもしろそうだとおもった。