三浦春馬とALS患者嘱託殺人の被害者。自死する自由があたえられていたひとと、あたえられていなかったひと。

ALS患者嘱託殺人事件の特集が、朝日新聞でくまれている。さきごろの嘱託殺人事件について、識者などの意見や朝日新聞をふくむメディアの編集のしかたをみていると、嘱託殺人という手段をとって自死した当人の不在のところで、議論がすすめられているような、気もちのわるさが、多少ある。


ぼくとしては、三浦春馬にはあたえられていた自死する自由が、ALS患者にはあたえられていないというところに、多少の不平等を感じる。難病であっても、いきいきといきていけて、自殺したいなんておもわない社会をめざすのは、ただしい道なんだろうとおもう。しかし、いまはまだその道中だ。混沌とした社会で、「いきろ」とだけ、理想論をぶつのは、なんかちがう。


自死する自由についての議論がないと片手落ちの気がするのだ。しんでしまいたいとおもいなやんでいる当事者の意見や気もちをもっとひろいおこして、社会的に議論をふかめていく方が、だれも自分から命をたつことのない社会への近道のようにおもうが。