氷室京介展(グランフロント大阪会場)にいってきた感想。※ネタバレ注意※

氷室京介展に、9/12土曜日に、いってきた。
※この記事のいたるところに、ネタバレがありますので、展示展にまだ、いかれていないかたは、みないでください!!※


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27、28歳から56歳まで、ソロミュージシャン氷室京介のすがたをおっていくかたちの展示展だったのだけれど、年をおうごとに、次第に表情から、もろさがきえていったことが感じられたことが、いちばん印象的だった。せつなく、そして、さびしい、影のある表情のなかにあった、もろさがきえて、ちからづよい偉大な孤独とでもいうべき表情になっていっている。

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写真は、展示会場の最後のブース。氷室京介の未来が、ここにはあった。


この展示展は、還暦アニバーサリーのはじまりなんだって、しめくくりかたに、鳥肌がたった。

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氷室京介のいま、そして、未来につづくシンボルである。


おわりなのではなく、いまからはじまるんだって、最後のブースでしめされていた。ほんまに還暦オリジナルアルバムがでるっぽい。最後のライブのときにファンと約束したことを律儀にまもっていたのだ。ライブでの表現を想定しないことは、氷室京介にとって、あたらしいこころみになるから、どんなアルバムになるのか、たのしみすぎる。




たかが展示展だけれど、そうともいえないインパクトがあった。おおげさだが、このあとのぼくの人生に、なんらかの影響をあたえそうなほどの展示展だった。ここしばらく余韻がのこっている。


この日は、氷室京介展をぐるりと1時間半くらいかけて、ゆっくりまわった。そのあとから、氷室さんとすごくちかい距離に、ちかづくことができた感じが、ゆるやかに心身をつつみこんでいる。なにかにみたされた感覚がある。


氷室さんの人生のあゆみを追体験できるしくみに、展示は工夫されているのだろうとおもう。展示という方法の威力を体感している。



以下、こまかなことの印象記として。


氷室さんの字が、とてもととのっていることが印象的だった。きれいな字をかくんだなあ、って。BOOWYの「季節が君だけを変える」の手書きの歌詞には、おちついた雰囲気があった。いきおいで歌詞をかいていない感じがした。


KISS MEは、サビのところでkill meにするかどうかで推敲していたのが、氷室京介っぽいとおもった。それをやめたのが、30歳代の氷室京介らしさをあらわしているともおもった。


ステージ衣装が展示されていた。氷室京介がそれらをきていたのだとおもうと、急に氷室京介という存在が、ちかく感じた。実在する、というか、ふつうの人間なのだとおもえた。


1996年ころ、ライブ活動を3年以上はなれたときの葛藤や、2013年にあった実家への放火事件によってうけた精神的影響まで、アニバーサリーな展示展で言及されていた。このひらかれた精神に、氷室京介はあゆみをとめておらず、そして、たましいが、かれていないことを感じた。


氷室京介の歴史をある程度一覧してみて、アルバム『IDEA』が、やっぱりおおきな飛躍であると確信することができた。アルバムが完成したとき、「究極の氷室京介」と、みずからが形容した手ごたえは、20年ほどたっても、かわることがない真実だったのだ。


氷室さんのたましいは、かれはしないんだ。

KYOSUKE HIMURO since 1988

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