2021年の我慢と2022年のチャレンジ、そして、2023年からのあたらしい人生。

22年に、おおきくジャンプするために、最後の助走のために来年はすごそうか。来年一年、自分をみがきあげて、22年は勝負をする。そして、23年に、ぼくは野球選手というあらたな一面をもって、これまでにない人生をスタートし、人間を探究する道をこころざす。梅棹忠夫たちがそだててきたことを継承する道を、自分をごまかさずに、誠実にあるく。


そのためには、ぼくは来年の8月ころには硬式球をにぎってきなくてはいけないし、試合の経験を10回、11回としていなければいけない。そして、肉体的には、運動神経も筋肉も、ドテドテとうごく、なんちゃって野球おじさんの域を脱して、高校球児のように、しなやかなバネをもっていなければならない。また、精神的には、勝負の世界のきびしさにたえうるだけの覚悟をもたなければならない。土俵上で、変化の技にたけているだけでなく、がっぷりよつの相撲をとれるだけの"格"を、その精神の柱にもたせなければならない。


まよっている暇はないので、すぐにきめた。まようくらいなら、せめるべきだ。自分の性格上。


来年は、八戸ノ里か、小坂のあたり、つまり司馬遼太郎のすんでいた土地で、ひとりでくらす。そういう一年にする。これは、やっぱりやってみたいことだ。司馬遼太郎が、根をはって、ぼんやりと妄想しながら、散歩したであろう小道を、ぼくもあるいてみたい。


来年やることがきまった。来年は、野球選手になるための練習と司馬遼太郎がいた土地でのひとりぐらしだ。


京都への移住は、そのあとだ。梅棹忠夫の足跡をたどるのは、そのあとだ。たのしみは、まだまだあるのだ。なんと贅沢な人生だろう。


それにしても、年々、つぎの年のテーマを意識するタイミングがはやくなってきている。よいことだ。