根をはった土地をはなれるさびしさ

下痢がひどく、微熱がある。おもいあたるふしはある。金曜日にたべた牛肉のユッケとレバーだ。もう金輪際、魚の刺身をのぞいて、どんな生肉もたべない。


最近はずっと、比較的健康であることがつづいていたので、11ヶ月ぶりに、おおきく体調をくずしている。以前、鶏の刺身をたべて、あたったときには39.5度をこえる発熱と下痢に嘔吐と、散々な目にあったが、それとくらべると、今回のは全然ましではある。倦怠感はあるが、バットの素振りでもしようかとおもえたりもするのは、あるいは本当に体力がついてきたあかしなのかもしれない。


とはいいつつも、やっぱりからだがしんどいのは、たしかである。からだがしんどいと、悲観的になる。ねいってから、一度目がさめてしまったいま、目をつむるとネガティブなことをかんがえて、気にしてしまう。3時ころに目がさめて、いまはすでに5時である。こころの健康をたもつためには、からだの健康が必要なのかもしれない。


一人ぐらしをするというかたちで、ライフスタイルを変化させようとしているが、ちいさなストレスがかかっているみたいだ。からだがよわっているいまだからこそ、このちいさなこころのゆれをとらえることができたようにおもう。


ぼくはいますんでいる土地に、しっかり根をはって、いきていたみたいだ。ここ数年のあいだに、どうやらそういういきかたをやっていたみたいだ。地下鉄の改札をでて、階段をのぼり、地上にでたところには、いきつけの串かつ屋さんがあり、ラーメン屋さんがある。串かつ屋さんのマスターとは、何度も何度も人生のあれこれをかたりあい、いきる活力をはぐくんでもらった。また、友人の男女ふたりが同棲しており、平日か休日かをとわず、何度も家にまねいてもらい、たのしく食事して、すごした。


この土地から、自分自身をひきはなすことがつらい。串かつ屋さんのマスターのところに、帰宅途中に、フラッとたちよることができなくなることが、さびしいのである。


とおくはなれた土地にいくわけではないので、おおげさな感じかたをしているのだとおもう。しかし、ちいさなストレスの質は、こういうことなのだとおもう。