大学進学をすすめることの是非について

こんにちは。

仕事がら、高校生に対して、進学相談をおこなうことがあります。ぼくは広報課には所属していませんが、たまに代打で、進学相談会とかにいきます。

大学の広報課は、なにがなんでも志願者をあつめることに必死です。まあ、私立大学は学生の授業料収入におおきく依存して、活動していますので、必死になるのは当然のことなのですが。

広報課がよくつかうことばは、「大学に進学したら、夢と希望がひろがっている。あなたの可能性をいっしょにひろげていきましょう。」といったところです。

ぼくは、こうした宣伝には、批判的です。

まず、大学は基本的に、「学校でまじめにお勉強ができる70%の学生と、放っておいても自分でたくましくやっていく20%の学生」を対象に運営されています。そして、「のこりの10%の、人生にまよっていたり、家庭状況や経済的に苦労しているような学生」のことは、ほとんど対象にしていません。(※数字はてきとうです。)

なぜなら、大学はNPO法人などではなく、営利目的が半分くらいある学校法人だからです。国立、私立とありますが、よくにたものでしょう。

なので、大学は、「ひとりの学生が、人間として、どういきて、どう死んでいくのか」などというようなことについて、ほとんどかんがえていないのです。そういうことについて、切実になるような感性は、大学にはほとんどありません。

大学生をとりまく状況で、ぼくがしっていることで、こころにひっかかることで、以下のようなことがあります。

・女子大学生が学費のために性風俗ではたらく。

・母子家庭で、学生本人が生計をささえている。

特殊なケースなのでしょうが、このようなひとにまで、大学進学をすすめた大学や高校には、ぼくはたいへん批判的です。

女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル (朝日新書)

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書籍にもなっていますし、ぼくの身のまわりでも、実際にあったことが、何度もあります。

本人たちは、とてもやさしくて、気分のよい人間なのですが、やっぱりどこかに、むなしさを感じさせるものがあります。彼女たちは、「わたしの事情もしらずに、出席率をあげよう、単位をしっかりとろう、このままでは卒業できないよ」などと、大学が事情をわかろうともせず、こういうことをいってくることに、しんどいと、もらしていました。

はじめから勉強をまともにできる状況ではないのです。

社会的弱者の立場にある高校生に、あまいことばをささやいて、大学進学させることには、こういう危険をともなってきます。それを自己責任論で、かたづけることには疑問があります。

とにかくですね、大学進学するかどうかは、ほんとうに自分のことをよくかんがえて、きめないといけないということだとおもいます。おとなは、組織の都合で、けっこうウソをついてきますので。

日本社会では、天才的な才能がないような、ふつうの人間は、やっぱり大学をでていた方が、なにかといいです。だけど、学校側だけの意見をきかずに、いろんなおとなの意見を進路選択のときには、きいた方がいいとおもいます。それが、あたりまえの話だとおもいます。