ひとは、表と裏の二面性があって、あたりまえ。

ひとには表と裏がある。ぼくはそれをかくしたいとはおもわない。かくしているひとがおおいから、社会が分断されているのだとさえおもう。


表が正義で、裏が悪であるかは、わからない。しかし、この世のなかでは、"だれかの価値基準"で、表は善玉あつかいされ、裏は悪玉あつかいされている。この価値基準から、ぼくは飛躍したい。


人間が古来から、コツコツとつみかさねてきた"ただしさ"は、まちがいなくあるとおもう。しかし、それは、無批判にうけいれるものではないはずだ。まずは、たとえ"まちがっている"ことだとしても、「俺は、ただしい。俺は俺さ。」というところから、ただしさははじまるのだとおもう。「俺は、ただしい」が、まちがっていたら、その都度修正していく。このプロセスのなかに、ほんとうのただしさがあるはずだ。


このかんがえを検証していくために、ぼくはFacebookTwitterなど、snsをつかっている。インターネット世界に、自己を存在させるといういとなみは、もはやきってもきれない時代になっていく。そうであるならば、積極的に、つかっていくより、よい案はない。


リアルとインターネットで、表と裏の自己を表現していく。これをつみかさねていく。このさきには、たぶん、肉体と精神が、あるいは物体と情報が、統合された世界があるはずだ。


それには、実名でやることがベストだとおもう。匿名で、裏か、表かを表現していくと、しらないうちに、べつの自我がそだっていくようにおもう。これでは、統合ではなく、分断にむかっていく。司馬遼太郎ですら、福田定一司馬遼太郎とを統合しきれていないような感じがあるのだから、平凡なわれわれは、不用意にアカウント名をもって、インターネット世界で自我をふくらませていくことは危険だろう。

選挙という二者択一のイベントで、おおきな変化をきめてしまうことへの違和感。【大阪都構想】

選挙という二者択一の方法で、変化することって、なんか違和感がある。それがベストな方法だとされているから、まあ、しかたがないとあきらめるが。


変化というのは、性急には、おとずれない。もっとじわじわと、おとずれてくるものである。ちいさな行為をコツコツとつみかさねていき、それらが蓄積されていき、いつのまにか、爆発的におとずれるものなのだとおもう。


もし大阪都構想に賛成しているひとが、なんとなくある閉塞感をうちやぶるために、という"おもい"がきめてで、投票しているのだとしたら、それは悪手だとおもう。


自分の身のまわりの生活のちいさな変化のつみかさねのさきに、おおきな変化はやってくるのである。大阪をかえたいのなら、まずは自分発信で、ご近所づきあいをやってみることである。それをやってはじめて、大阪都構想なる大変化をきめる選挙に参加できる資格があたえられるのだと、ぼくはおもっている。


政治をかたるまえに、まずは市民たれ。そうおもう。

コンプレックスと鬱

素振りを熱心にして、筋肉痛になるまでノックをうけていても、自分のなかで、野球に一途であるとはいいきれないものがある。友だちは草野球にさそってくれるが、それを心底よろこんでおらず、すこしわずらわしさのような、なにかひっかかりを感じている自分がいる。これはむかしからの性向で、なにごとにも熱中できなかったり、ふかくふかくほりさげていくことができないのである。


ひとつのことをしていても、その行為のなかに、何層もの目的や意義をもたせようとする。そして、ときに、その層は地殻変動をおこし、主たる目的が従になり、従たる目的が主とかわる。はじめにはじめたころとは、おおきくことなる脇道に、自分の意志で選択し決断し、すすんでいくのである。


こういう自分であることに、いまでは、さほどにはおもいなやむことはないが、すこしまえまでは、つよいコンプレックスだった。


このコンプレックスから解放されたのは、梅棹忠夫さんとの出会いである。ひとつのことをふかくつきつめていく「つらぬく論理」に対し、いろいろなことをひろくつきつめていくという「つらねる論理」があるという思想にふれて、自分の熱中できなさを肯定できるようになったのである。


しかし、おそらくこのコンプレックスから、まったく解放されたわけではないような気がする。そういう悪寒があった。


いまは、すごくあかるく、ポジティブなモードになっているから、なんてことはないが、自分には、もう一方で、くらく、ペシミスティックなところもあるというのが、自分のリアルのはずである。ついこのあいだまで、そういう自分が支配的だったのである。


角幡唯介さんの著書『旅人の表現術』に、梅棹忠夫さんの話がでてきた。梅棹さんですら、本格的な登山家にはコンプレックスがあったのではないかという話であるが、そのために、最晩年に、すこし鬱っぽい状態になったのではないか?とおもわれることがあったという。


ふと、自分自身が、ふかく自省していることに気がついた。


とにもかくにも、梅棹忠夫さんは、ぼくにとっては、やっぱり人生のひとつの指針のようである。あらためて、そのようにおもう。


旅人の表現術 (集英社文庫)

旅人の表現術 (集英社文庫)

山をたのしむ (ヤマケイ文庫)

山をたのしむ (ヤマケイ文庫)

エロ文化を衰退させて、性のことが消費文化にのみこまれてしまうと、人間のゆたかさがうしなわれていく。性暴力はエロ文化の衰退によって、過激になるのだとおもう。

ずっとほしかったエロ本を手にいれた。


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インターネットで、根気よくさがしていたら、運よくヤフオクで出品されているのを発見した。発見した瞬間は、おもわず「やった」と声をだしてしまいそうになるほど、うれしかった。すぐさま入札し、無事、落札することができた。


このエロ本は、小学生のころに、はじめてみたものであり、また精通してからは、アダルトビデオをみはじめるまでのあいだ、ずっと利用していた、いわゆるオカズなのである。つまり、このエロ本は、ぼくという人間の歴史にとって、性のめざめをもたらしたものであり、異性の裸をはじめてみたという経験であり、そして、思春期の原体験であるという、記念碑的なものなのである。にもかかわらず、うっかりすててしまったのである。

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田村麻里江という女優。小学生のころ、とてもかわいらしくて、うつくしいと、あこがれていた。おとなになった、いまみても、その感想はかわることがなかった。つやっぽくて、色気のある女優である。
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吉野ゆうき。界隈では、伝説の女優であるらしい。こちらの女優の異様な色気に、小学生のころ、とりつかれたところがあった。彼女については、出演しているAVをおとなになってから、購入したほどである。このAVでは、性が消費されていないことが感じられるので、よい時代だったんだろうなとおもう。

えらいおおげさなことをいっているが、これはけっこうたいせつなことだとおもっている。だからこそ、ある種、ちまなこになって、いろんなキーワードを検索して、さがしあてたのである。インターネットが発達した、いまの時代にいきるわかものは、このような経験をすることができるのだろうか。おとなになってから、ちまなこになって、インターネットで検索し、オークションで落札までして、手にいれたくなるほどのエロとのかかわりあいができるのだろうか。


スマートフォンさえあれば、いつでも、どこでも、エロに接続することができる。しかし、スマホでかかわるエロは、単に消費されるだけのものになりさがっている。消費されるだけのエロには、異性の肌への神秘的なあこがれは、おこりようがない。それでは、おとなになったとき、記念碑的なものになる余地はないだろう。


スマホだけを断罪するようであるが、わるいのはスマホだけではない。いまは、エロ本そのものが、堕落している。いまのエロ本は、単なるAVのきりぬきであり、消費されるだけのものへと、みずからなりさがってしまっているのである。こんなものに、性をめざめさせるような、記念碑的な価値はない。


エロ表現を衰退させることは、よくない。エロが消費されるだけのものになりさがってしまうと、性暴力がおきてしまうと、ぼくはおもっている。消費文化というものは、基本的には、大量に生産し、つかいすてていく文化だからである。

ひとが癒えていくこと。そういうことにかかわる仕事。

去年1年かかわった学生に、リストカットだらけで、自殺をこころみたことがあるというひとがいた。そいつの顔は、やたらくらく、陰があり、しばらくいっしょにすごしているだけで、魔界にひきずりこまれそうなほどのネガティブなエネルギーがあった。ぎこちなく、ひきつりながら、わらった顔には、魔のちからがあるんじゃないかとおもうほどだった。


ひとりでは、到底たちうちできなかったので、ある程度関係をきずいてから、専門家(スクールカウンセラー)のところへ、つれていった。それからは、徐々に、専門家が中心にかかわっていくようにして、ぼくは、すこし距離をとるようにした。


先日、半年ぶりに、そいつとあった。専門家からは、まえもって、ずいぶんとよくなったときいていたが、ほんとうに、みちがえていた。うっかり他人かとおもうくらい、雰囲気があかるくなっていた。


魔の雰囲気は、表情から、きえていた。全然学校にこれなかったのに、その日は1時間まえから、悠長にマスクもせずに、やってきた。他人のそらにか?と、多少とまどっているぼくをみて、自分から、「おひさしぶりです」と、声をかけてきた。


そいつが、"ふつう"に、わらっている顔をみて、うれしさがこみあげてきて、感動した。それとともに、すこし、くやしかった。これほど、ひとをおどろかせるほど、人間がかわるすがたをみせつけられて、嫉妬したのである。


ぼくは、このような仕事をお金にしようとはおもっていない。しかし、この仕事を評価しない学校は、おわっているとおもっている。そういうところに、未来はないだろう。

たとえ荒唐無稽でも、ポジティブで、おおきな夢をえがく意識をつよくもつことで、ひとは飛躍できる。

意外と、あっさりと草野球デビューすることがきまった。最近、キャッチボールをやったり、たがいにバッティングピッチャーをやって打撃の練習をやったりしている友人が所属しているチームに、参加させてもらえることになったのである。野球をはじめて、6ヶ月、7ヶ月ほどで、声をかけてもらうことができた。草野球といえども、相手から声をかけてもらえたというのは、おおきな一歩である。


つくづく、「プロ野球選手をめざしている」などと、法螺をふきながら、まじめに努力してきて、よかったとおもう。すこしずつであるが、あゆみをとめることなく、着実に、なにかにちかづいていっていることを実感している。


自分で、自分に、限界という枠をはめてはいけない。これは、ある種、信仰にちかいくらい、つよくおもっていることである。人間は、気をぬくとすぐに、保守的になるものであるから、自他によって、いつのまにか、自分の意識は、かってに限界をきめる癖がついてしまう。それを阻止するために、たとえ荒唐無稽なことであろうが、おおきな自分をえがく意識をつねに、つよくもたなければならないのである。


ぼくの夢は、梅棹忠夫司馬遼太郎のような知の巨人とよばれるひとびとと、仕事をすることである。そうなるために、一番の道は、落合博満流で、野球の練習をつむことで、自分なりの論を確立することである。落合流は、とおまわりかもしれないが、いまもっとも注力できることであるから、躊躇せずに、とりくむことが、自分にとって、ただしい道なのだと、確信している。


この夢に、一歩でも、ちかづきたいという気もちが、最近、とてもつよくなってきた。べつに、むくわれなくてもよいが、なげやりになるような仕事には、時間をさきたくない。いまの仕事は、それ自体はおもしろいが、組織のありかたが、肌にあわないので、なげやりになりたい気もちが、でてくる。これがいやである。


心機一転、部署がかわったが、やっぱりどうにもむずかしいみたいだ。飛躍する準備をしたいのだが、ここでは、その準備ができない。この職場では、荒唐無稽な、おおきな自分をえがくことができない。これが、一番ダメだ。


なにか、あたらしいことにチャレンジしたい。

氷室京介展(グランフロント大阪会場)にいってきた感想。※ネタバレ注意※

氷室京介展に、9/12土曜日に、いってきた。
※この記事のいたるところに、ネタバレがありますので、展示展にまだ、いかれていないかたは、みないでください!!※


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27、28歳から56歳まで、ソロミュージシャン氷室京介のすがたをおっていくかたちの展示展だったのだけれど、年をおうごとに、次第に表情から、もろさがきえていったことが感じられたことが、いちばん印象的だった。せつなく、そして、さびしい、影のある表情のなかにあった、もろさがきえて、ちからづよい偉大な孤独とでもいうべき表情になっていっている。

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写真は、展示会場の最後のブース。氷室京介の未来が、ここにはあった。


この展示展は、還暦アニバーサリーのはじまりなんだって、しめくくりかたに、鳥肌がたった。

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氷室京介のいま、そして、未来につづくシンボルである。


おわりなのではなく、いまからはじまるんだって、最後のブースでしめされていた。ほんまに還暦オリジナルアルバムがでるっぽい。最後のライブのときにファンと約束したことを律儀にまもっていたのだ。ライブでの表現を想定しないことは、氷室京介にとって、あたらしいこころみになるから、どんなアルバムになるのか、たのしみすぎる。




たかが展示展だけれど、そうともいえないインパクトがあった。おおげさだが、このあとのぼくの人生に、なんらかの影響をあたえそうなほどの展示展だった。ここしばらく余韻がのこっている。


この日は、氷室京介展をぐるりと1時間半くらいかけて、ゆっくりまわった。そのあとから、氷室さんとすごくちかい距離に、ちかづくことができた感じが、ゆるやかに心身をつつみこんでいる。なにかにみたされた感覚がある。


氷室さんの人生のあゆみを追体験できるしくみに、展示は工夫されているのだろうとおもう。展示という方法の威力を体感している。



以下、こまかなことの印象記として。


氷室さんの字が、とてもととのっていることが印象的だった。きれいな字をかくんだなあ、って。BOOWYの「季節が君だけを変える」の手書きの歌詞には、おちついた雰囲気があった。いきおいで歌詞をかいていない感じがした。


KISS MEは、サビのところでkill meにするかどうかで推敲していたのが、氷室京介っぽいとおもった。それをやめたのが、30歳代の氷室京介らしさをあらわしているともおもった。


ステージ衣装が展示されていた。氷室京介がそれらをきていたのだとおもうと、急に氷室京介という存在が、ちかく感じた。実在する、というか、ふつうの人間なのだとおもえた。


1996年ころ、ライブ活動を3年以上はなれたときの葛藤や、2013年にあった実家への放火事件によってうけた精神的影響まで、アニバーサリーな展示展で言及されていた。このひらかれた精神に、氷室京介はあゆみをとめておらず、そして、たましいが、かれていないことを感じた。


氷室京介の歴史をある程度一覧してみて、アルバム『IDEA』が、やっぱりおおきな飛躍であると確信することができた。アルバムが完成したとき、「究極の氷室京介」と、みずからが形容した手ごたえは、20年ほどたっても、かわることがない真実だったのだ。


氷室さんのたましいは、かれはしないんだ。

KYOSUKE HIMURO since 1988

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