野球で身につけた「孫子の兵法」で、クレーマー対応

何日かまえの仕事だけど、クレーマー対応としては100点のたちふるまいができたとおもう。おとなになった。うりことばに、かいことば的に論破してやろうととか、一切おもわなかった。ただただ冷静に、相手を観察していた。たとえるなら、全部ボールをみきわめていたけれど、あえて見逃し三振をしたという感じだ。オープン戦で、かつファームの試合は、これみよがしにバットをふるような場所じゃない。そういう余裕があった。


勝負勘がつかめてきたのだろうし、勝負なれしてきたのだろうとおもう。感情的になったクレーマーの威圧感に、はじめはやや気圧されたけど、それは感情のスイッチをいれていない状態であれば、あたりまえのことだ。真正面から、それをうけとめずに、半身になって、うまくうけながせた。真剣勝負のバッターボックスで、脚のふるえを感じたことの方が、何倍もタフな経験だったとおもう。あれこそ勝負の場で、まけていたのだろうとおもう。


それで、うまくクレーマー対応できたことに、やや興奮しているのが、いまのぼくの状態だ。勝負の場で、たたかわずして、かつことができたことで、武者ぶるいしているような感じだ。


あとひとつ、自分自身にたいして、ほめてあげたくなるくらい、うれしかったことがある。それは、もしそのクレーマーが、いかりにまかせて、個人の容姿やかんがえかたなどを攻撃してきた場合は、しっかり刀をぬく準備をととのえることができていたことだ。「いまの時代、そういうのはあかんとおもいますよ。話がかわりますよ、いいんですね。」と。


いつでも刀をぬく準備、つまり、たたかう準備をしていて、それでいて、たたかわず撤退して、勝利するというのが、孫子の兵法の本質なのではないかとおもった。たたかうことは、まったくムダなことだと、ぼくはおもっているのだけれど、たたかわないためには、たたかうこころがまえをしっかりと腹のなかで、ねっておかなければいけないのかもしれない。勝負勘というか、こういう感覚はもっておきたかったので、それを手にいれることができただけで、野球をやった甲斐があったとおもう。


とにもかくにも、論争がいかにムダであるのかが納得できる経験をした。みのりのある経験であった。

草野球2戦目おぼえがき_2021/2/28

今日は草野球で練習試合に参加してきた。結果は2打席1打数0安打1四球1得点(前回は3打席3打数0安打)。


レフトをまもって、守備機会が5回ほどおとずれたが、なかなかうまくいかなかった。落下点を判断して、最短距離でそこにむかう練習が必要なのかもしれない。


人生で初出塁を記録したわけだが、走塁の練習をしていないので、どうリードをとればよいのか、グラウンドのどこをみればよいのかなど、全然わからなかった。わからなかったから、相手チームの一塁手にきいてみた。

「初出塁なんですがどうしましょ?」

「おお、そうなんですか。今日はベースについとく方がいいでしょうね。」

このあと、四球、ヒット、ヒットで、初得点を記録する。はじめのヒットはセンターフライになるか、きわどい打球だったが、二塁から三塁にはしるとき、ハーフウェーのどこらへんにいればよいのか、わからなくてこまった。自分が帰塁できる距離感を把握すべきということらしいが、そんなことはまだわからない。結局ヒットになったので、三塁まではしったのだが、そのときは帰塁する姿勢からの体重移動の方法がわからなくて、脚がもつれてしまった。


守備も走塁も課題がおおい。


背番号22のユニフォームをもらった。完全に野球選手のすがただったが、コスプレをしているようなはずかしさはなかった。にあっているとさえおもえた。自分なりに、ユニフォームに袖をとおすだけのことは、去年の1年でしっかりやってきたという納得があったのだろう。


試合まえのアップで、キャッチボールをしたとき、ぼくのキャッチボール相手と、よこでそれをみていたひとが、ふたりそろって、「ええたまなげるな。ピッチャーの練習、やってもええかもしれへん。」といってくれた。かなりうれしい。ものになる可能性があるなら、ピッチャーをやってみたい。すくなくとも、練習はやってみて、適正をみきわめたいとおもう。ただ、はじめてあたえられたポジションである外野(レフト)も奥がふかくて、おもしろいので、もっと練習してうまくなりたいが。


試合では、第一打席で、自分がかなり緊張していることに気づいた。バッターボックスのなかで、脚がふるえていた。ふともものあたりから、ひざにむかって、プルプルとふるえていた。人間って、緊張したら、ほんまにふるえるんやな。おどろいた。それだけ真剣だったのだろうとおもう。


まえの初試合は、とびいり的に参加させてもらって、ジャージで出場したからなのか、そんなに緊張しなかった。むしろ冷静さもあったくらいだ。しかし、今日は人生で、はじめて主体的にユニフォームに袖をとおしたわけだから、なにかを感じることが無意識的にあったのだろう。守備でなかなか役にたてなかったこともあり、「バッティングでは役にたちたい」と、気おうところがあったようにおもう。


すごくよい経験をしているとおもう。30歳になって、こういう緊張感をあじわうことは、自分にとって、まちがいなく意味のあることだ。レギュラーをとりにいくつもりだし、自分の役割をみつけだして、チームにとって、かえのきかないオンリーワンの選手になるつもりだ。「野球がうまいひとが、試合にでれる」という単純明快な競争原理が、わかりやすい。そこには政治も忖度もない純粋な競争だ。これはぼくがいままで、ほとんど経験してこなかったことだ。


ひとつずつ、着実につみかさねていく。ここで努力をつみかさねていくことを継続していけば、まちがいなく、おおきなことが手にはいると確信している。まずはフライボールをキャッチすることと、初ヒットをうつことが当面の目標だ。

じゃんぼ総本店の経営者はかしこい。先見の明がある。

大阪に、かなりのスピードで店舗の拡大をすすめている「じゃんぼ総本店」というたこ焼き屋お好み焼き屋があります。

この店はもともと、レンタルビデオ屋でした。大阪メトロの北巽という駅のすぐちかくに、店をかまえていました。いつのまにか、レンタルビデオ屋の一角に、たこ焼き屋をかまえました。これが、繁盛しました。夜中にビデオをレンタルしにいったついでに、たこ焼きをかってかえる。

しばらくのあいだは、レンタルビデオ屋とたこ焼き屋を併設して、運営していましたが、徐々に、たこ焼き屋の方にちからをいれていきました。きっかけは、近所にTSUTAYAがオープンしたことです。TSUTAYAには品ぞろえでかなわず、一時は、ビデオ1本一週間100円でレンタルできるようにしたりしていましたが、そのうち廃業しました。


それで、たこ焼き屋だけがのこり、店舗を改装して、たこ焼きとお好み焼きをうる店をオープンしました。これが、やっぱりヒットし、いまの店舗の拡大につづいているようです。


ぼくは、この「じゃんぼ総本店」の経営者の時代をよむちからはすごいとおもうんです。ここ10年くらいのできごとですが、レンタルビデオ屋を廃業し、中食業界に商売をきりかえたのは、先見の明があるとおもいます。


このまま鳥貴族的に拡大をつづけて、メディアにおおきくクローズアップされたとしたら、どんなふうに社史を表現するのでしょうか。たいへん気になるところです。「人気たこ焼き屋は、創業時はレンタルビデオ店だった」というのは、いかにもおもしろいとおもいます。

草野球デビュー戦

2021/2/14、草野球デビュー戦(練習試合)。


9番レフトでスタメン出場(あつまったひとが9人しかいない)。


3打数0安打。
第一打席は、たかめのストレートをうって、セカンドフライ。
第二打席は、たかめの変化球に手をだしてしまって、バットをとめきれずに三振。
第三打席は、つよいあたりのサードゴロ。


3-0だが、バッティングは、もうちょっとどうにかなりそうな感触があった。自分のまをみつけて、タイミングのとりかたを経験的に身につけることができれば、どうにかなりそうだ。120km/h弱くらいでるピッチャーのボールが、みえないことはなかった。あとは、変化球への対応だ。カーブを一球なげられたが、顔にくると一瞬おもってしまい、かるくのけぞってしまった。こういうことへの対処能力が必要だ。


守備については、全然ダメだ。どうにもなりそうにない。サードがエラーしたゴロを一回だけ捕球したが、フライなどは、とてもとれそうにない。かといって、内野もできないし、そもそも、ポジショニングがわからない。とにかく練習と経験と知識が必要だ。

1km4分40秒ペースで、5kmをはしる。

こんにちは。


きのうの夜中、5kmランをして、1kmを4分40秒台のペースで、はしれました。これまでの最高ペースが、脚をプルプルさせて、ヘトヘトになりながら記録した1kmをちょうど5分のペースでしたので、一気にタイムをちぢめて、スケールアップしました。
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どうしてこうなったのか?という自分なりのこたえ、結論をさきにいいますと、まちがいなく筋トレの成果です。1km5分のペースの壁をやぶれないでいたころには筋トレをしていませんでしたが、いまは下半身、腹筋、上半身の筋トレをおこなって、体幹部をきたえることをとりいれています。そして、筋トレをとりいれはじめてからは、長距離走は年間で3回ほどしかおこなわない頻度になっています。にもかかわらず、はしるペースが、大幅に向上したのです。


突然のレベルアップが、うれしかったので、はしりおわったあと、すぐに日記にのこしました。なにがいままでとちがっていたのか、からだの感覚的なことを言語化し、すこしの分析をくわえています。


約5kmを23分37秒ではしった。1kmを4分と40秒くらいのペースだ。一年前より、20秒くらいちぢめた。壁を軽快にとびこえたようで、爽快だ。


去年はほぼはしっていないのに、この進歩は、まちがいなく筋トレのたまものだ。下半身のトレーニングのおかげで、地面をけるちからづよさが、かなりパワーアップしていて、推進力が格段にあがっていた。


ほかには、もしかしたら道具のちからもあるかもしれない。レギンスをつけるようにしたのだが、それのしめつけるちからが、脚にバネをあたえているような感じがある。


今日は午前午後と、ほとんど一日中、ちから仕事をしていたにもかかわらず、夜中にこのタイムで5kmをはしれた。めちゃくちゃ体力がついてきたことを実感できた日であった。いまからクールダウンに、かるいペースで、もう5kmくらいはしれそうなほどだ。   


きのう、長距離走をしていて、つかれてくると脚がひらいてくる感じがありました。そうならないように、バネをつかってはしろうとすると、ふとももの内側の筋肉に意識をむけるのがよいとわかりました。ふとももの内側に意識をむけて、足の親指で地面をふみしめるように、けりあげる感じです。


筋肉のことをしらべてわかったのですが、内転筋は運動能力の向上のために、かなり重要な筋肉のようです。きのうはそれを実感しました。
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単純にはしりこみさえすれば、体力は向上するというのは、どうやら幻想です。「いまの自分にはなにが不足しているのか?」ということをみきわめて、それにあった方法で、適切にきたえていくことで、運動能力はレベルアップしていくということが、まちがいなく真実です。


ところで、きのうのペースではしって、フルマラソンでようやく3時間30分台なのですが、これは途方もないです。はしっているあいだ、ずっと強度のある負荷が脚にかかっている状態だったので、いまは10kmすらも、それを維持できる気がありません。マラソン選手は、えげつないペースではしっているんやなぁ…というのが、率直な感想です。


キロ5分の壁をやぶったからこそ、みえるようになった景色なのだとおもいます。その壁のさきには、途方もない山脈がまちかまえていたようです。


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サラリーマンをやめて、自由なライフスタイルを確立するためのアレコレ

月の半分だけ、しっかりはたらいて、のこりはのんびり本をよんだり、がっつりからだをうごかしてすごすライフスタイルを確立したい。お金は生活できれば、それでよい。お金ではかえないゆたかさをおいもとめたい。


ようは危険なのは、「社会から脱落してしまった」というレッテルをはられて、社会的にころされてしまうことなんだろうとおもう。ちゃんと社会参加していますよ、というかたちをみせれるようにしておく。これさえきっちりできれば、なんとかゆるく、ゆたかにいきていけるんじゃないか。


どうやればよいのかわからないが、ひとつおもうのは、「ながいものにまかれる」ということだ。巨大市場にぶらさがって、ほそぼそと、やっていく。ゲーム実況者のライフスタイルをみていると、そんな感じのことがみえてきた気がする。かれらは、ゲームという巨大市場に、ぶらさがっていきているんじゃないか。


やっぱりどんないきかたも、市場は密接にかかわってくる。需要と供給の関係性のなかに、活路がある。市場からはなれて、独自のライフスタイルを確立することは、よほどの天才でないかぎり不可能だ。そもそも、おおくの天才がしんでから評価をうけているわけで、いきているときは困窮していたことも、すくなくないわけだ。


ぼくの興味関心は、教育という既成の概念や価値観で、括弧でくくることができるとおもうから、やっぱりこれはたいせつにした方がよい。ひとつの軸だ。


ということは、つまり、長瀬というまちで、自分の場づくり、地域参加、まち参加をつみかさねて、教育(まなんで、自己を変化させ、自己実現していくいとなみ)を軸に、近畿大学にぶらさがる方向を模索していって、PDCAをまわしていくことが、わりとただしいやりかたのようにおもう。

ウソつき少女と健気な犬の少年 【夢日記 2021/1/15】

なにものかが、ぼくの背中にあるカバンから、なにかをとった。ぼくは、とられたものは梅棹忠夫に関する新聞のきりぬきだと、すぐに気がついた。なぜなら、それ(梅棹忠夫)は、ぼくにとって、うばわれてはならないものだからだ。


ぼくはすぐにふりかえった。すぐうしろに、少女がいたので、といつめた。


「きみは、ぼくからなにかをとったでしょう。すぐにだしてください。」


少女は首をよこにふって、いった。
「しらない。とってない。」


ぼくは、なにがうばわれたのかをしっていたので、それがうそだとすぐにわかった。


「その手にあるのはなんです?」


そういって、ぼくは少女の右手をつかんだ。その手には、たしかに、ぼくにとってかけがえのないものがあった。


「それはぼくのものなので、かえしてもらう。」


ぼくは少女の顔色をみて、なにかを察した。


「それを強引にうばいとったことはどうでもよいが、なぜこんなことをしたのか、正直にいってほしい。」


少女はだんまりをつづける。


「ほんとうのことをいう方が、自分のためにいいとおもうよ。」


やさしい声色でつたえたかったが、声はふるえていた。「いつまでもウソをついて、いきていたら、破滅するぞ!」と、さけびたかったのをこらえた。


これ以上かかわっても、ムダだとおもったので、ぼくは少女をすてさった。



場面はかわり、なんだかことばづかいやからだのうごきが、ぎこちない少年とであった。ぼくは、かれから、ふかい魅力を感じた。しばらくのあいだ、ふたりでまちの風景をながめて、のんびりとすごしていたら、かれは重大なことをうちあけた。なんと、かれは、なにかのまちがいで、人間のすがたでうまれてきてしまった犬だという。


かれははじめ、人間のことばをはなすことができなかったし、二足歩行をすることも満足にできなかった。当然のように、おなじ人間からは嘲笑され、差別された。しかし、かれは「人間として、うまれたということは、かならず人間らしくなれる」とつよいこころで信じ、健気に、ほかの人間のように、はなすことができ、あるくことができるようになる訓練をおこなった。その成果はしだいにあらわれてきた。かれは、人間のことばをはなすことも、二足歩行も、ぎこちないとはいえども、できるようになってきたのだ。


いまや、かれを嘲笑するものは、だれもいない。


かれは、自分が人間としては未熟であるということをいっさいかくしていない。つよがりや虚勢でもなく、あきらめからくるひらきなおりでもない。かれは自分の運命を、自己の存在をそのままうけいれている。かれには、ウソがないのだ。


ぼくは、かれの魅力のふかさに気づいたとき、重大なことをしった。


以上。2021/1/15、AM7:20ころ、おきぬけにみた夢の日記。



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