胡蝶の夢日記

20歳代後半の元大卒無職の現大学職員の雑記ブログです。学校ぎらいの中高生や大学生、そのようなお子さんをもつ方、あるいは気もちを表現できずにくるしんでいるひとなどに、すこしでも役にたつようなことをかいているつもりです。こころの問題について、ゆるくとりくんでいます。

手づくりの革製品をつくるステキなお店HERZとの出会い。

3年くらいまえに、HERZという革をあつかうお店の大阪の店舗で、本革のしっかりした財布をかいました。当時は堀江にありましたが、いまは場所を移転しているようです。

www.herz-bag.jp

旅行で、博多の街をあるいていると、偶然にも、HERZ博多店をみつけました。せっかくなので、のぞいてみました。

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博多店の入口

www.herz-bag.jp

店内は、商品を陳列しているだけでなく、工房がむきだしになっていて、のぞいてみることができるようになっています。ミシンが数台ならんでいたりして、いかにもハンドメイド感がただよっています。

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店内風景①

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店内風景②

店内をブラブラしていたら、職人のお兄さんが、「よかったら手にとって、みてくださいね。」と声をかけてくれたので、ぼくは「実は、大阪の店舗で、これをかっていまして。」と、自分の財布をみせました。

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牛革の財布。3年くらいつかっているので、すこしは味がでているだろうか。

はなしやすい雰囲気をだしているお兄さんだったので、財布をわざわざみせたのと工房がみえていたものだから、「大阪の店舗でかったものなのですが、ボタンが、こわれかけているのを修理してもらうことって、できますか?」とたずねてみました。「問題なくできますよ。」とのことでしたので、ボタンひとつ500円で、3箇所、修理してもらいました。10分くらいで、すぐになおしてくれました。

ボタンがすこしかたくて、パチッとしまる音が、とてもいいです。

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お気にいりの財布が、うまれかわった。

この財布については、すこしつかいにくさを感じていました。構造的にボタンがこわれやすい気がしていたのですが、これについては、今日、その職人のお兄さんに、「ボタンがいたむのは、しかたがない部分もあるので、気にせずつかっていただいて、ダメになったら、また修理すれば、革自体は丈夫なので、ながくつかうことができます。」と解説してもらい、納得できました。こまめに修理して、ながくつかうというのが、すこしカッコいい気がしました。

こちらの職人のお兄さんからは、財布の修理とお会計がおわったあと、博多駅にある「なごみ」という飲食店がオススメだということをおしえていただきました。お店のひとたちで、よく利用するとのことです。

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旅行の二日目の夜にいった。どれもすごくおいしかった。

また、お兄さんいわく、「大阪の店舗に、修理のヘルプでいっていたこともある。」ということで、職人の仕事事情をすこし社会見学できた気がしています。

なんというか、この財布にまつわる物語が誕生したようにおもえて、愛着がつよくなった気がしています。この財布の革には、大阪と博多のにおいがしみこんだような気がしています。

相手からいわれて、はじめて気がつく自分のあたらしい一面

ぼくの文章から、ハードボイルド風味がすると感じられたかたがいる。

おもってもみなかった評価なので、不思議な感じだ。しかし、いわれてみれば、そんな気もする。主題とは関係ないけれど、他者から評価されるというのは、率直にすごくうれしかった。

ちなみに、その評価をうけたのは、つぎの記事だ。 

hide-himuro.hateblo.jp

kotobank.jp

ハードボイルド - Wikipedia

百科事典でしらべてみると、なるほど、自分にはたしかに、ハードボイルドな一面があるかもしれない。

ぼくは「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」というような願望が多少あって、そのために、自分のことを言語化するというあそびを、ここ数年ずっとやっていたりする。

自分が感じたことをそのままの感じで、目のまえに、ことばで表現することができれば、最高だ。そんなわけで、特に、泥酔したときなどは、前後不覚になりながらも、相当な集中力で、文章をかいていたりする。

このあたりなどには、たしかに、ぼくは自分に対して、そこそこハードボイルドなところがあるといってもよいかもしれないとおもう。

ところで、「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」ということだけど、これを文章で表現するにはどうしたらよいだろうか。

なにか文章にしたいことがあっても、その対象だけをまな板にのせることは、ぼくはたのしくない。その対象のことを文章にしつつも、そこには「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させる」ということが主題になっていなくては、たのしくない。ようは自分のことを表現したいのだ。しかし、自分のことをかくといっても、私小説的なくさい感じはだしたくないのだけれど、こまったことに、文章をかく技術がないものだから、そのはざまで、右往左往している。

とにかく、自分のかく文章が、ハードボイルドだと評価されたのは、おもしろい気づきになった。

ハードボイルドなんていうと、石原軍団みたいな感じをイメージしていたので、とてもじゃないが、あんなのはゴメンだとおもっていたけれど、しらべてみると、文章表現において、ハードボイルドというのは、ああいうのとはまたちょっとちがった感じがした。

hide(松本秀人)の研究をはじめようとおもう。

hideの研究をはじめようとおもう。

この1年、毎日ずっとhideのことをかんがえてきたので、本気でやってみたくなってきた。hideという人間を理解することは、21世紀を、あるいは令和という時代をいきる人間におおきな意味をもつとおもう。

ちなみに、ぼくはhideをすきになって、今年の5月2日で、ようやく1年だ。しかし、時間のながさは関係ないようにおもえていて、このひとに出会いたかったんだ!という感じで、旧知の友にあったような感じさえしている。

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手はじめに、hide関係の書籍で、比較的安価に購入できるものを手あたりしだい、よんでいる。

hideという人間を研究するために、大学院にいくか。それとも、hideをイメージして、小説か、エッセイをかいて、出版社にもっていくか。なにかしら、行動するつもりだ。

hideに関する先行研究をさがしているけれど、まだよいのはみつからない。みつかったのは、ヴィジュアル系ロックについての研究で、X(X JAPAN)をとりあけでたりしているもので、これは当時の社会状況などについて、勉強になった。
kuir.jm.kansai-u.ac.jp

とりあえず、いまは、松本裕士(hideの弟)さんの著書をよんでいる。仕事をしながらやるのは、たいへんだけど、がんばるぞ。

なにがよまれる記事なのか、よくわからない。とても自己評価のたかい記事が全然よまれなかったり。

自己評価と他人からの評価って、やっぱりズレがあるね。

われながら、めっちゃかきたいことをかいたとおもっている記事は、全然よまれていない。自己評価的には、スゲーおもしろいことをかいたつもりなのに、スターもつかないので、ほかのひとにとっては、あんまり興味のないことなんだろうなって。めっちゃ気合をいれてかいたので、これはよいぞとおもっているのだけれど。

hide-himuro.hateblo.jp

つぎの記事もおなじだ。けっこうよいことをかいている気にはなっているのに、よみ手にとっては、どうでもよいことなのだろうな。

 

hide-himuro.hateblo.jp

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せめてものすくいは、昨日のかいた以下の記事が、Google検索からちょっとだけアクセスされていることだ。hideのファンだけではなく、 はてなブロガーさんたちも、気もちよくよんでくれているのか、スターはちょっとついている。

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ラウンジで女性ふたりとお酒をのんだ話~昼の世界と夜の世界~

ラウンジで、お酒をのんだ話をする。

昨晩は気がつけば泥酔していた。しかし、今朝お酒はほとんどのこっていない。あたまもいたくない。

仕事おわりに、地元にある居酒屋で、いつものように、ひとりでのんでいたけれど、よくのんだ。朝になって、レシートをみると、瓶ビール3本にハイボール2杯とあるので、ひとりでよくやるなあと、ややあきれる。

帰宅するため、フラフラと南の方へむかって、あるいていたら、わかく、はなやかな女性がふたり、道ばたにたっていた。

キャッチだろうとおもったけれど、表情やたたずまいなどの雰囲気に、オッとおもわせるものがあったので、しゃべってみたいという興味がわいた。

ほとんど泥酔していたので、冷静な判断ができない気がしていて、しかもひとりでいて、そんなときに、法外な金額を請求されたら、かなわへんとおもい、一瞬ためらった。

しかし、そのふたりの女性からは、人間的ななにかが、内側からひかっているように、第一印象でおもえたので、しゃべってみて、そのこたえあわせをしたいという衝動にかられた。

というわけで、こちらから、逆にキャッチされにいった。ふたりに、「こんなところで、なんのひとまちですか?」と変なことばをなげかけた。

余談だけど、こんなところとは、地元をさしており、どうして、大阪のミナミなどからは、やや辺境に位置する場所に、につかわしくない魅力をひめた人間がいるのだろう?という意味がこめられている。

話をもどす。

声をかけたら、やっぱりキャッチだった。そして、はじめの会話のやりとりだけで、やっぱり、はなした感じがここちよかった。

きけば、お店のシステムは、まず席料が5000円で、ボトル代として6000円、ここからスタートだという。こわいひとがでてこられたら、こまるとおもって、相当なやんだけれど、結局いくことにきめた。が、財布には10000円しか、はいっていなかったので、ちょっとばかし交渉して、おためし価格として、ボトル代なしで、10000円を上限に、ということになった。話の前後が逆になるけれど、こわいひとは、最後まで、お店からはでてこなかった。

ふたりに案内されて、店にはいった。

店内は、わかい女性だけで、きりもりされていて、路上でであったふたりをいれて、計4人。そのあと、0時すぎに、もうひとりあらわれた。

ぼくが店にはいったとき、先客の男性がひとりだけいた。年齢は40歳前後くらいだろうか。50歳ちかいかもしれない。店内はうすぐらくて、乱視のひどいぼくには、正確にはみえなかった。

席について、はじめのふたりの女性と一時間ほど、しゃべった。いろいろしゃべったが、直観にくるいはなく、ふたりの女性は非常に聡明で、人間に芯がしっかりあって、彼女らが声にだしたことばの振動は、聴き手の心身を共振させた。

会話について、話の内容のおもしろさではなく、声にだすことばの振動で、たがいの心身を共鳴させることが、ひとつのたのしみかたとして、成立するとおもうけれど、この場では、それができているとおもった。

なにをはなしたかというと、たいしたことは、はなしておらず、だいたい「こんなことを感じている」とか、「こんなことをかんがえている」とか、日常の他愛のない話ばかりだ。他愛のない話でも、心身が躍動していた。

こういうものを、うまくいえないけれど、スポーツみたいな会話とでもいってみても、よいだろうか。

スポーツみたいな会話とはちがい、話の内容の会話で、おもしろかったのは、この店を分類すると「ラウンジ」ということで、「ガールズバー」とか、「キャバクラ」などとは、似て非なるものだということだ。 

女性がおしゃべりで、もてなしてくれるという類似点だけで、うっかりおなじものとおもっていたけれど、全然ちがうようだ。お店のシステムなどのちがいだけでなく、そこにいる人間の意識のありかたが、まず全然ちがうということが、ふたりの話から、はっきりと理解できた。

Wikipediaでしらべてみたけれど、なるほど、たしかに、まったくちがうものだ。それぞれに、それぞれのよさがあるようだ。

ラウンジ (接待飲食店) - Wikipedia

ふたりの女性のうち、ひとりが「昼の仕事にもどりたい気もするけれど、この夜の仕事がたのしいので、こっちの方があっているのかもしれない」といっていたのが、印象にのこっている。

ドラクエには、昼と夜とを自由に逆転させることができる、ラナルータという呪文がある。この呪文をつかうことができればよいのにと空想するけれど、そんなわけにはいかないので、せめて、昼の世界と夜の世界とを統合する空間をつくることができればよいとおもう。

たぶん、さがせば、ラナルータな場はあるのだろうけれど、出不精で、ひっこみ思案で、行動的ではないぼくは、まだそういう場をみつけることができていない。

ぼくの意識としては、日常、夜の顔をして昼の世界ですごし、昼の顔をして夜の世界ですごしているつもりなのだけど、これがなかなか理解されずにいて、しんどい。特に、昼の世界の人間からは、ほとんど理解されていない。

ぼくは、この半分かけた感じのしんどさを夜の世界のひとびとには、補完してもらえている気がするので、夜の世界の人間に、けっこう愛着があるのだ。むろん、夜の世界とは、女性に接待してもらうような形態のお店だけをさすのではなく、ふつうの居酒屋や、マスターの串カツ屋もふくんでいる。

つね日ごろから、夜の世界が、昼の世界を補完するという位置にあまんじているというのは、ちょっとちがう気がしている。

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松本秀人(hide)の弟、松本裕士のこと

この松本裕士という著者は、松本秀人の弟で、この本はほとんど、松本裕士の自伝といってよいとおもえる。

松本裕士という、いち私人の自伝がこれほどまでに、おもしろいとは、おもわなかった。

松本裕士とは、むろん、hideの弟のことである。

しょせんは、hideの名を利用した、「自分語り(笑)」だろうとおもって、敬遠していた自分をはじている。

ぼくは、松本裕士のこともすきになった。どうやら、松本裕士にも、ひとを魅了するちからがあるf:id:hide-himuro:20190420213432j:plain

兄弟 追憶のhide (講談社文庫)

兄弟 追憶のhide (講談社文庫)

そうそう、『HURRY GO ROUND』という、去年公開されたhideの映画で、松本裕士は、「もし、いま、目のまえにあらわれたら、ぶんなぐってやりたいですよ」と、涙を目にうかべながら、はなしていた。

HURRY GO ROUND [DVD]

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これが、ぼくの松本裕士をはじめてしった場面だ。すごく、印象にのこっている。hideみたいに、ビジュアルがかっこよいわけではないけれど、松本裕士もすごく印象にのこる、かっこよさをもっているとおもう。

ぼくの居場所について。

正直にいう。

いまの職場は、ええひとがおおいから、やめられへん。

ハッキリというが、組織のありかたとしては、まがりかどやとおもうし、ほとんど終わりにちかいくらい疲弊している。

しかし、ほとんどのひとが、ええひとなのである。

ほんまに、それがおもしろい。

ええひとと、ひとつの場を共有できていることが、すべてをチャラにするくらい、たのしい。

そこにいる人間を当事者として、ながめていられることが、めっちゃたのしい。

それだけのために、はたらいているといってよい。

これほど人間くさくて、ピュアなひとたちが、あつまっている集団もすくないんじゃないか。

ぼく個人としては、ここでの仕事は、ほとんど「労働」という無味乾燥なものとしかおもえなく、過酷で、非生産的で、つねに過労死とか、鬱とか、自殺とかがちらつく職場だけれども、人間くさいという一事が、とてもたのしい。

これほど人間のことを自分のこととして、勉強できる場もないとおもうほどだ。

ちょっとポジティブに、うけとめてみた。