2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1日のしめくくりに。『ゲッベルスと私』の感想と阪神タイガースの鳥谷選手の退団のこと、など

今日は、夜の8時すぎまで、はたらいて、帰宅後は、阪神タイガースのユニフォームをきる鳥谷選手の最後の勇姿をみながら、夕食をたべた。「ここで引退して、将来の幹部候補として、がんばってくれ」という球団からのさそいをことわって、「野球選手として、納…

ぼくが経験して、みてきた、日本の体育教育への違和感について。

体育教師は、おそらく、学生時代にスポーツを一生懸命にがんばってきたひとたちだ。このようなひとが、体育をおしえているから、日本の体育はあまりおもしろくないのだ。スポーツとは、身体を極限まで、いためつけるいとなみだ。今日、阪神タイガースのエー…

政治を勉強するには時間が必要なのに、残業つづきの大衆には、その時間がない。この悪循環が、ポピュリズムをうむんじゃないのか?

だれに投票しようかと選択をせまられると、なかなかむずかしいことがわかってきた。 どいつもこいつも、政治家という職業の人間は、大衆性をくすぐってきやがるから、うっかりとろかされるこわさがある。 たかだか一票を投じるだけであるが、ただしく意思決…

【政治を勉強する】山本太郎さんと立花孝志さんの政見放送は、大衆を煽動するちからがたかすぎるとおもう。自我をたしかにしなければ、うっかりとろかされそうだ。

最近、にわかに、政治に興味をもちはじめている。まあ、にわかに興味をもったのだが、自分としては、社会参加への志向がいきつくさきは政治だとおもうので、なるべくして、なったと理解しているが。これまでは、もう、ほんとに無関心だった。 それで、政見放…

8050問題と持続可能な社会

今朝の朝日新聞の朝刊で、8050問題がとりあげられていた。wikiしらべでは、「2010年代以降の日本に発生している長期化した引きこもりに関する社会問題である。」とある。小学生のころから40年もひきこもっていた50歳代の男性が、80歳まえの母親が自宅で死去…

孤独をうけいれたことから、ひろがる他者との関係性。

孤独で十分だと覚悟をきめたことで、他者との関係をきずいていく距離感がわかるという不器用さがある。もはや、だれとも共感できなくてもよいと、覚悟をきめたところからひろがっていく、共感の可能性がある。しかし、孤独という態度をきめた不器用さは、二…

祝杯!

10kmをはしったので、祝杯をあげている。場所は、家のちかくの居酒屋だ。 このビールとおつくりセットは、800円である。なかなか破格の値段だとおもう。まさか、甘エビがついてくるとは、おもわなかった。やっぱり、エビって、はなやかだ。つかれているから…

はしることとマインドフルネス。

10kmを55分かかって、はしりきった。ひとつ壁をこえたような気がしていて、達成感がある。今日は、はじめから、10km走にチャレンジしようと目標をさだめていた。しっかり10kmをはしることができるルートをGoogleマップで、しらべてから、はしった。つまり、…

"わたし"中心の生き方って、決して、「ちかづくものを傷つける」ような自己中心的なありかたではないとおもうのだけど。

①「"だれか"のためにあることで、"わたし"の関係がひろがっていくありかた」②「"わたし"のためにあることで、"だれか"との関係がひろがっていくありかた」このふたつのちがいについて、かんがえている。①は、19世紀おわりごろから20世紀なかごろくらいにあっ…

おもいこみのなかで、勝手に激怒するひと。おもいこみのなかに、とじこもって、虚無的になるひと。ふたつの人間の型は、まるで「おなじ穴のむじな」なのに、わかりあえない。

あるひとが、といかけなり、発言したことを、聞き手のなかで、「こういう意味でいっているのかな」と解釈することは、全然よい。しかし、それは、この時点では、ほとんど勝手な解釈であるわけなので、「あんたがいっていることは、つまりこういうことか?」…

すこやかな心身をはぐくむことで、過激な思想から自由になれる。

さきほど、4.8kmほどを24分くらいで、はしってきた。とうとう、「1km、5分」で、はしることができるようになった。これは、もはや、「アマチュアランナー」といってもよいだろうと、うかれるくらい、自分としては、おどろきの出来事だ。などと、しばし、うか…

どうして大学には、「できない人間をケアする場」がないのだろう。

「できない人間」の「できなさ」は、多種多様だろう。ぼくは、不勉強なので、多種多様のできなさの質的ちがいがわからない。「自分のできなさ」にちかいことはわかるが、それとちがう「できなさ」については、やっぱりわからない。ことばがふさわしいかどう…

すぐに成功体験に、とらわれてしまう。人間のおもいこみのはげしさ。

人間の意識って、なんで、こうも、おもたいのだろう。意識のなかで、すぐに成功体験が固定化して、うごかなくなる。なんという、おもいこみのはげしさ。「いたい方角」をむくことが、自分にとって、よいことなのだと、何度か納得をえた。途端に、「いたい方…

むかしから、ひとびとを魅惑、幻惑してきた思想にふれて、ひっぱられない自分があるか、たしかめてみる。

『共産党宣言』をよむことに、もう一度、チャレンジしようとおもっている。マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)作者: マルクス,エンゲルス,Karl Marx,Friedrich Engels,大内兵衛,向坂逸郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1971/01/01メディア: 文庫…

脱アウトサイダーとしていきていくために、だれかと酒をのむときに、酩酊するまで、のみつづけるのをやめようとおもう。

なんか、よくわからないけど、いま、なんだか、「自分の話をしたくない」という感覚が、うまれてきている。聞き上手になりたいというか。とにかく、あんまり、自分の思想をひろげすぎずに、相手とわかりあえるくらいの距離をたもっていたい。こういう感覚が…

また、歯が、かけた。たすけてくれ。

また、歯がかけた。右側の奥歯たちが、いつ、まっぷたつにわれても不思議ではないような状態らしい。しみて、いたいが、病院はやすみなので、あさってまで、たえねばならない。ながく知覚過敏かとおもっていたが、どうも、歯に亀裂があって、そこから、しみ…

心と頭と体のたくましさをバランスよくきたえることで、集団や組織に「ちがう」と意思をしめすことができる態度をもつことができる。

ある集団や組織に対して、個人として、「ちがう」とかんがえることには、「ちがうという意思をしめす」ことって、市民としていきる人間がふつうにもっているべき態度のような気がしてきた。実は、ぼくは、これが、ながくできなかった。できないというか、意…

ぼくにも、すきなひとがいた事実。そのひとを愛していた事実。ぼくも、ひとを愛することができたという事実。

決して、かっこういいものではないけれど。 どんな場所でも、どんな人間でも、そのひとをすきになったという事実があるだけで、十分だ。ぼくはひとをすきになっていたし、愛していたんだということが、納得できた。だから、もはや、だれかと、むすばれるかど…

ひとを好きになるということ。ひとを愛するということ。

あなたのことが、すきでした。けれども、いま、むすばれることはできないだろうとおもうので、ぼくは身をひきます。あなたは、ぼくをひととして、すいてくれていました。ひとを愛せないぼくをうけいれてくれました。ぼくは、あなたのそのやさしさに、のぞみ…

だれかにいってみたり、どこかにかいてみたりすることで、わかっていないことの外堀がすこしずつうまってきて、みえてくることがある。

わかっていないことでも、とにかく、だれかにいってみたり、どこかにかいてみたりすることは、よいことだ。直接、だれかにいったとしたら、その相手は、かならずリアクションしてくれる。無視されたり、めんどくさがられることも、もちろんリアクションだ。…

漫画と映画で興味をもってから、世界史を勉強するきっかけをつくる。ヒトラーから、ドイツ史をかじる。

ヒトラーのことをとりあげた作品をみて、ぼくって、全然、世界史の背景をしらないということに気がついた。それで、高校の教科書をちょっとのぞいてみたら、なるほど、ドイツは日本の戦国大名が割拠していたのと、おなじような感じやったのか。そいで、プロ…

『ヒトラー~最期の12日間~』と『ドラゴンボール超 ブロリー』の感想【映画感想】とにかく、三浦大知のBlizzardがかっこよかった

よしっ。 『ヒトラー~最期の12日間~』と『ドラゴンボール超 ブロリー』をみおわったので、はしりにいこう。 が、ちょっと感想をかいておきたい。 ヒトラーについては、まったく無関心だったのだが、つい先日、本屋で、水木しげるの『劇画 ヒットラー』が目…

マイノリティ(社会とのズレになやみ、その原因を自分のよわさにあると、くるしむひと)をケアする場を大学に、高等教育の現場に、積極的な価値があるものとして位置づけていく活動を開始する。

大学という空間に、社会に参加することに疑問を感じている学生に対する、ゆるいつながりの場をつくりたい。場としては、目的設定はしないが、ルールとして、つぎのようなことをひとつさだめておこうとおもう。「自由を尊ぶことを基本とし、自己中心性・自文…

学生が大学を退学するという問題について、大学職員や教員がもつべき発想。

除籍退学率5%を改善するという問題(数字は適当だ)に、どうやってとりくむのかという課題があって、それに、中規模以下の大学はけっこう苦慮している。今日、JR大阪駅でみたストリートミュージシャンがつくる場に、ヒントがある気がした。街なかで、ひとりの…

街のありかたをプロデュースしている巨人が、どこかに、きっと、いるはずなのだ。

街あるき、ならぬ、街すわりをやっていた。ながめていると、どうも、ここで、歌をうたうかれらは、許可をえて、やっている感じがする。4組くらいが、1列にならんで、うたっているが、どうやら、順番がきまっているようだ。ある組がうたっていると、ほかの組…

ストリートミュージシャンの自己表現と鶴見俊輔の座りこみ

その声は、ぼくには、こころにひっかかるものとは、おもえない。かれの歌声からは、個性をだすには、まだ、すてきれないプライドのかたまりが、邪魔をしている気がする。などと、評論家ぶる自分は、さておき、「それをして(こんなところで、歌をうたって)、…

【書評・日記】鶴見俊輔の「退行計画」をよんで。いきかたがかわる文章との出会い。

梅棹忠夫の「アマチュア思想家宣言」が、ぼくにあたえた衝撃はおおきかった。そのおおきさにつぐ衝撃が、鶴見俊輔の「退行計画」にはある。いきていく方角が左右されるであろうと認識できる思想に、このたび、また、であうことができたという、よろこびが、…

ある異邦人の素朴な感覚について。

原風景は司馬遼太郎に根ざし、思想的なよすがにしているのは梅棹忠夫であり、いきかたについては鶴見俊輔のようにありたいと、あこがれている、平凡な在日外国人。人間のタイプとしては、いわゆる、病んだ人間であり、自己をアウトサイダーであると規定して…

ナラティブによる自浄作用のために、安心し、決心がにぶってしまった昨日の今日。

今朝は、すごくぐっすり、ねていた。あけがたに、おそらく、トイレにいったのだが、それが夢のような気がするほど、意識がとんでいた。いつもは、一度、おきてしまったら、ねられないので、これは、めずらしい。たぶん、つかれているのだろう。 目ざめが、多…

不安をことばにすると決心できるが、その決心が安心をうみ、かえって、決心をにぶらせる。

昨日まで、ずいぶんと、気分が、おちこんでいたので、ことばを消費しすぎた。だけど、たくさんことばにしたおかげで、こころの奥に巣くう悪魔の正体がみえた気がしている。悪魔の正体はなんだというまえに、悪魔がいすわる部屋のとびらのまえに、悪魔のちか…