すこやかな心身をはぐくむことで、過激な思想から自由になれる。

さきほど、4.8kmほどを24分くらいで、はしってきた。とうとう、「1km、5分」で、はしることができるようになった。これは、もはや、「アマチュアランナー」といってもよいだろうと、うかれるくらい、自分としては、おどろきの出来事だ。

などと、しばし、うかれてみるが、プロのランナーとは、なんとすごい身体のもちぬしだろうと、おどろいているのが、正直なところだ。これ以上のペースで、はしることは、ちょっと想像できない。マラソン選手は、このペースの1.5倍くらいのスピードで、42.195kmもはしるっているわけだが、どのように身体をうごかしているのだろうか。

とにかく、最近は、特に、身体がちからづよくなってきていると感じはじめている。そういう方向への意識の変化があるから、アマチュアランナーなどと、いいたがっているのだとおもう。

ところで、これまた最近、政治的なことに関心をもちはじめている。『共産党宣言』をよもうとおもっているし、ナチス関係の本を現在よんでいる。これは、ちょっとまえまでのぼくでは、かんがえられないことだ。政治的なことには、「積極的無関心」でいようと、あまりなにもかんがえずに、おもっていたのだが、それとくらべると、おおきな変化だとおもう。

ぼくは、この変化、つまり政治的なことへの関心がつよまっているのは、身体がつよくなってきていることと関係があるとかんがえている。もっというと、身体のつよさとともに、こころのつよさとも関係がふかいとかんがえている。

どうも、心身が健康になっていくにつれて、社会への関心や参加意欲がつよまっていて、そのさきに、政治的なことへの関心のつよまりもあるのだとおもうのだ。

これについて、竹内敏晴(舞台などの演出家)を参考としてあげておく。参考というよりも、ほとんど、そのまま、竹内敏晴の思想によりかかって、実践してきたことなのだが。

思想する「からだ」

思想する「からだ」

竹内敏晴は、小中学校教育で、国語と体育をわけない教育などを提案していたが、まったくそのとおりだとおもう。ちょうどいま、はしりおわって、一息ついているぼくとしては、体育を中心に、理科も社会も数学も音楽も、全部つながっていてもよいとすらおもえる。

政治思想や宗教のようなものは、魅惑的なところが、やっぱりある。このようなものにふれて、うっかりとりこまれてしまわないためには、まずは、すこやかな心身をもっている必要があるとおもうのだ。

1km5分のスピードで、5kmくらいをはしることができるようになってくると、なんか自分の価値基準に自信がもてるような気がしてきて、極端な思想にふれても、どうってことない気がしてくるのだ。

「そんな思想じゃ、1km5分で、はしれへんで?」って、すごく冷静に、鳥瞰できるような感じがあるのだ。