ぼくの持ち味は、やわらかに、ゆるやかに、空を自由にとぶようにして、他者にやさしさを感じさせることだとおもっています。
なので、くろいものを腹にためこんではいけないとおもました。それじゃあ、持ち味がダメになります。
腹にたまった、くろいものをうまく浄化させる技をもたないとって、おもいました。
その技のひとつは、こうして文章をかくことやとおもっています。
Facebookに、そういうくろいものを治癒していくために、いろいろかいているんですが、Facebookで、くろいものをはきだしすぎるのは、ちょっとダメかもとおもうようになりました。なんというか、ひとがはなれていきそうな気がしました。
はきだしかたをかんがえないといけません。自分と距離をとって、うまく、やさしく、やわらかいものに、変換しないと。
いったい、くろいものってなんだというと、すっごいストレスが、つとめている大学でありました。組織からの理不尽です。その理不尽に対して、自分のこどもっぽさもでてしまって、ちょっとおちこんでいます。
もっとやさしくて、いやされていくような場で、仕事をしたいです。
むかし、プロ野球の江本孟紀さんが「ベンチがアホやから、野球ができへん」といいました。
おなじように、ぼくも「大学がアホやから、教育ができへん」といってやろうかしら?
冗談はさておき、大学組織って、ほんとうに腰がおもたいし、旧態依然とした形式をおもんじますね。
3年間つとめましたが、内部はなかなかイビツですね。改善運動をしても、微妙に異端視されますし。むずかしい。