自分のモノサシ(尺度とか、価値観)をもつことの偉大さ

自分のことをはじめて、ほめてあげたいとおもった。昨日、以下のことをことば化していたが、それは自分史において、画期的なことだった。

「一生、あそんでくらしていくために、あたらしいものの見方がほしい。世のなかをながめて、ずっとおもしろがることができるモノサシをたしかなものにしたい。」

「あそんでくらす」=「お金持ちになる(しっかりお金をかせぐ)」という定式が、支配的だったが、どうやら、このタイミングで破壊されていって、上記のようなオルタナティブなものに再構築されてきているということが、わかった。

ぼくはこの変化、つまり、「自分のモノサシを言語化できたこと」を、自分のなかで、偉大な変化だと位置づけたくおもっていて、だから、ぼくは自分のことをはじめて、ほめてあげたいほど、すこし感動しているのだ。