選挙という二者択一のイベントで、おおきな変化をきめてしまうことへの違和感。【大阪都構想】

選挙という二者択一の方法で、変化することって、なんか違和感がある。それがベストな方法だとされているから、まあ、しかたがないとあきらめるが。


変化というのは、性急には、おとずれない。もっとじわじわと、おとずれてくるものである。ちいさな行為をコツコツとつみかさねていき、それらが蓄積されていき、いつのまにか、爆発的におとずれるものなのだとおもう。


もし大阪都構想に賛成しているひとが、なんとなくある閉塞感をうちやぶるために、という"おもい"がきめてで、投票しているのだとしたら、それは悪手だとおもう。


自分の身のまわりの生活のちいさな変化のつみかさねのさきに、おおきな変化はやってくるのである。大阪をかえたいのなら、まずは自分発信で、ご近所づきあいをやってみることである。それをやってはじめて、大阪都構想なる大変化をきめる選挙に参加できる資格があたえられるのだと、ぼくはおもっている。


政治をかたるまえに、まずは市民たれ。そうおもう。