ことばにすることのたいせつさ。書くこと、話すことのアレコレ

ことばにすることは、とてもたいせつだと、ことあるごとに実感している。

このことについて、phaさんは著書『知の整理術』の「言葉にする」は偉大な力という項(p44~)で、こんなことをいっている。<書くのでなく誰かに話すというのでもいいのだけど、書くほうが便利だというのには2つの理由がある。1.ちょうどよく話を聞いてくれる人が、周りにいないことが多い 2.書いたものはあとから自分で読み返して、検討して直すことができる>

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

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やっぱり「かくこと」が、ひとつたいせつだと、ぼくもおもう。

だけど、ぼくはどっちかというと、「はなすこと」の方が、すきだし、得意だし、みのりがあるような気がしている。ひとそれぞれのタイプの問題だとおもうし、ぼくがかくことについて、下手くそなだけであるともおもう。

なぜ、ぼくが「はなす」方がいいのかというと、他者とはなすことは、「リアルタイムで、共感できたり、刺激をうけたりする」ので、あたまも、こころも、からだも、すごく活性化してきて、おもいもよらないことに気づいたり、言語化できなかったことが、水をむけてくれる他者のみちびきによって、言語化できたりするからだ。

言語化することについて、自分のもっていないちからをだせたりするのだ

対話とか、対談のよさについて、梅棹忠夫は、こんなことをいっている。


けれど、やっぱりphaさんがいうように、かくことは、未来に跡をのこすことができるので、うまくかくことができるようになりたいとおもう。はなすことばかりでは、ちょっともったいないなあともおもう。

ただ、はなすことの一回性が、ぼくはこれはこれで、すきなので、やめられないし、やめる気もない。もっと、他者と、自由を感じることができる対話をしたい。