ことばにすることは、とてもたいせつだと、ことあるごとに実感している。
このことについて、phaさんは著書『知の整理術』の「言葉にする」は偉大な力という項(p44~)で、こんなことをいっている。<書くのでなく誰かに話すというのでもいいのだけど、書くほうが便利だというのには2つの理由がある。1.ちょうどよく話を聞いてくれる人が、周りにいないことが多い 2.書いたものはあとから自分で読み返して、検討して直すことができる>
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/12/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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やっぱり「かくこと」が、ひとつたいせつだと、ぼくもおもう。
だけど、ぼくはどっちかというと、「はなすこと」の方が、すきだし、得意だし、みのりがあるような気がしている。ひとそれぞれのタイプの問題だとおもうし、ぼくがかくことについて、下手くそなだけであるともおもう。
なぜ、ぼくが「はなす」方がいいのかというと、他者とはなすことは、「リアルタイムで、共感できたり、刺激をうけたりする」ので、あたまも、こころも、からだも、すごく活性化してきて、おもいもよらないことに気づいたり、言語化できなかったことが、水をむけてくれる他者のみちびきによって、言語化できたりするからだ。
言語化することについて、自分のもっていないちからをだせたりするのだ。
対話とか、対談のよさについて、梅棹忠夫は、こんなことをいっている。
「対話は、その無意識なものを意識にのぼらせるためのスターターになるのである。」 #UMESAO_Tokyo
— 梅棹忠夫 Bot (@UMESAO_Bot) 2019年2月10日
「相手に触発されて、おもいもかけないことをしゃべってしまう。その新鮮な感動が、対談や座談会に出席することの魅力なのである。」 #UMESAO_Tokyo
— 梅棹忠夫 Bot (@UMESAO_Bot) 2019年2月9日
けれど、やっぱりphaさんがいうように、かくことは、未来に跡をのこすことができるので、うまくかくことができるようになりたいとおもう。はなすことばかりでは、ちょっともったいないなあともおもう。
ただ、はなすことの一回性が、ぼくはこれはこれで、すきなので、やめられないし、やめる気もない。もっと、他者と、自由を感じることができる対話をしたい。