胡蝶の夢日記

20歳代後半の元大卒無職の現大学職員の雑記ブログです。こころの問題とかに興味があって、いつか人類学をやりたいとおもっています。「自分のこと」をことば化することでみえてくる個性化について、かんがえています。

ぼくの自分の問題(親問題)と大学職員の仕事のこと

自分にできることって、なんだろうとか、かんがえる。いつまでも、あんまりたのしくない職場にいるのは、つかれるし。

いまの職場がたのしくないといいたいわけではなくて、基本的に、すでにある程度できあがってしまっている社会にいることが、すごくつかれるので、いやだ。

ちょっとズレている人間も発言権があたえられるような社会にいきたい。

そういう社会は、あそびにいく場所にかぎっては、みつけていたりするのだけれど、はたらく場所については、いまだみつかっていない。

ベンチャー企業とかがいいのかしら?とか、おもったりもするけれど、ぼくにはたぶんあっていないとおもってしまうので、とても転職なんてできない。

だいたい面接とかで、「うちの会社で、なにをしたいのですか?」みたいなことをきかれても、とてもこたえられる自信がない。

うっかり、「いや、ちょっと自由を感じられるかしらとおもっていまして。自分の人生の問題を優先しながら、御社ではたらきたい。そういうことができるとおもったので、応募しました。」みたいなことをいってしまいそうだ。

やっぱりいやがられるだろうなあ。本音なんだけどさ。本音はやっぱり、仕事の場にもちこんだらあかんのかしら?

教育の仕事をいまできていて、しあわせではある。うそいつわりなく。

大学生と接していて、おもうのは、やっぱり一定数は、「自分はなんのためにいきているんだろう。どこからきて、どこへむかっているのだろう。」ということを切実にかんがえていたり、なやんでいるひとがいるんだなってことだ。

こういうのを鶴見俊輔のことばをかりると「親問題」という。

ぼくにも親問題はあるし、なので、ぼくは大学で、少数であっても、学生の親問題につきそえる人間でありたいし、そういう仕事がしたいとおもっている。