偉大な創造のまえには不条理がある。

おおきな不条理をかかえこめる人間が、たぶん偉大な創造をしているのだとおもう。

世のなかの不条理に対して、おもいこみがはげしいのか、なんでかしらんが、かかえこみすぎるタイプの人間が、たぶんいる。

たとえば、司馬遼太郎とかはそうだとおもう。

だけど、反対からみると、司馬遼太郎とかは、そういうタイプの人間の成功パターンなのだとおもう。成功とは、つまり、自死をせずに、寿命をまっとうしたということだ。

失敗、つまり、みずから命をたったひとは、不条理をかかえこみすぎるがために、たえきれずに、崩壊してしまったのだとおもう。

昨年だったか、入水自殺した西部邁とかは、たえきれなかったタイプなのかもしれない。
西部の本はこれだけよんだけど、なかなかおもしろかった。

虚無の構造 (中公文庫)

虚無の構造 (中公文庫)

こういうこと、かいている本とかないかしら。

偉大な創造って、よくかんがえてみると、死も偉大な創造だな。