「おっ、これよいな」
こういう感じは、だれにでもあるとおもう。
この感覚は、層になっている。
個々人で、あさいところで、ふかいところで、「これよいな」という経験をいろいろもっているはずだ。
このふかさの問題で、だれしも、めっちゃ、とびっきり、ふかいところで、「これよいな」という経験をしているはずだ。
ぼくは、これが、なぜおきるのかをときあかしたいとおもっている。ときあかすことができなくとも、せめて納得したい。
いま、わかっていることは、この「おっ、これよいな」という、ふかい経験をふりかえってみると、「おっ、これよいな」とおもわせたことを表現しているひとたちは、ぼくが過去に「おっ、これよいな」とおもわされてきたひとびとと、おなじような思想に、ふれてきたということだ。
氷室京介は、10年くらいまえに、ポッドキャストで、ダライ・ラマの『抱くことば』をすすめていた。
hideの曲の詞は、すごく仏教的だと、坊さんがいっていたし、「お釈迦様の手のひらで、おどっている云々」とhideがかたっていたことを、共同楽曲制作者のINAは回想している。
そんな司馬遼太郎を、梅棹忠夫は、友人だといって、敬愛し、一冊の本にまとめている。
ぼくが、職場で、であった同僚のひとりは、仏教とか、宗教をテーマに修論だったか、卒論だったかをかいていたときいた。
そのほかも、いっぱいある。が、あんまり、かきすぎると、このあとの関係性に、自分が違和感をおぼえるから、やめておこう。ちかづきすぎると、破滅する気がするのだ。
とにかく、これらがしめす、みちびきを、学者は、科学は、なにも説明していない。このぼくが、なにによって、みちびかれているのか、いったいだれが、ときあかすのだろう。
「思想」が、ひとつ、鍵をにぎっているとおもうが、どうだろう。
とにかく、ひとつの統一の原理というか、融和の原理というか、なにか、おおきなながれに、ぼくはみちびかれているとおもうのだ。
- 作者:ダライ・ラマ14世,グレート・ザ・歌舞伎町
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2017/11/02
- メディア: Kindle版