胡蝶の夢日記 行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題や民族学に興味あり。「自分のこと」を言語で表現することでみえてくる自己実現について、かんがえながら、ブログをかいています。社会性って、なんだろう?どうしたら、社会に参加できるのだろう。

飲食店の店主をマスターとよぶか、大将とよぶか。文化考。

マスターとよぶか、大将とよぶか。

検索してみると、けっこうおおくのひとが、まようみたいだ。おもしろい。画像は、検索結果のスクショである。
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ぼくもはじめは、まよった。
いきつけの串かつ屋さんで、不慣れなときは、「大将」と、こころぼそい声でいっていた。
しかし、周囲の声を、注意深くきいていると、ここでは、「マスター」とよんでいることがわかった。
だから、ここでは、マスターとよぶようになった。

ほかの店では、どうするかというと、基本はマスターで、とおそうとおもっているけれど、大将の雰囲気のときは、大将とよぶことにしている。

しかし、マスターで、基礎をかためてしまった身としては、どこにいっても、マスターでとおしたい気もする。

マスターとよぶか、大将とよぶかは、なにできまっているのだろう。
なんとなく、店の雰囲気と客の総意で、自然にきまっている気がするけれど。奥がふかい。