ことば

自分の人生に、あわい期待をいだかない。

人生に、あわい期待をいだくことなく、ただただ自分の欲求にだけ忠実であることにつとめて、いきてゆくことを、あらためて、いまここに、ちかう。 とはいうものの、よき理解者たちから、「あれは、かなんやつや」とおもわれない人間でいるための努力だけは、…

おじさん構文。自分の文章の基本がわかる。

ぼくのことばはこびは、「おじさん構文」だと、いいあらわしたひとがいる。とてもシンプルで、まとをいた表現だから、とてもうれしい。「おじさん」は、ぼくのアイデンティティにとって、核となるものなのだ。司馬遼太郎、梅棹忠夫、氷室京介、…、つよく影響…

反抗期について。わかいうちに、うまいぐあいに、しっかり反抗の表現をやっておきたい。【河合隼雄 斎藤次郎 書評】

斎藤次郎『気分は小学生』という本をよんでいる。河合隼雄が紹介していた本である。 内容は、簡単にいうと、50歳をこえた"おっちゃん"(教育評論家)が、小学4年生のクラスの一員として、学校生活をともにおくっていたという体験記である。ただただ、子どもた…

何のための自粛なのか、意義目的までふくめて、シンプルに説明できないのは、なぜなのか。【新型コロナウイルス】

なんかしらんが、今日、安倍晋三首相が、「緊急事態宣言を5月6日以降も、延長する必要がある」とか、なんとかと、いっているというニュースがある。 この調子で、自粛がつづくなんて、うんざりだ。勘弁してほしい。 自粛、自粛というのは、簡単だが、「なぜ…

いつでも小休止ができて、いつでも再チャレンジができる社会が、多様性をみとめる社会なのだとおもう。日本を不寛容な社会にしたくない。

諸価値のうつりかわりが、はげしい時代だから、自我が不安定になりやすいというのが、現代社会なんだって、だれかがいっていた。河合隼雄やったような気もするけど、そうでない気もする。とにかく、心理学者が、いっていた。こころが傷つきやすい時代なのだ…

技術を身につけるために、まもるべき原理原則は、「反復練習と復習」だ。【落合博満 技術論】

今日(といっても、記事をかいているうちに昨日になってしまったが)、仕事おわりに、バッティングセンターにいった。新型コロナウイルスに関していうと、このバッティングセンターは、野外であるし、今日はひとりも客がいなかったので、問題ないだろう。また…

死と生のこと。

気もちよく泥酔するたびに、死の危険を感じながら、無意識の底にしずみたくない。いいかげんに、せんならん。お酒で、ふつうの社交をたのしめるようになりたい。もっというと、お酒なく、社交をたのしめるようになりたい。お酒は神事ではない。なにごととも…

「暗中模索の自分さがしの物語」がおわり、「なにか風景がえがかれたキャンバスに、"自分"をえがいていく物語」がはじまった。

今日は、仕事がえりのバスと電車で、職場の哲学の先生といっしょになったので、いろいろはなすことができた。 「ファシズムとか、ポピュリズムに、すこし関心があります。○○という本を今日、Amazonのオススメでみつけましたが、著者をご存じでしょうか?」と…

イメージトレーニングで、からだの感覚をつかんでいく。バッティングの動作をことばにする。【落合博満のバッティングの理屈】

左側の首筋がいたくて、当分、運動はひかえようとおもうので、バットスイングに関するからだの感覚を言語化して、イメージトレーニングをしようとおもう。 そもそも、「からだの感覚を言語化して、思考をたくましくし、思想をねり、精神をたくましくする」と…

なんで、ひとは、こころを病むのか。こころが病むのは、自立のはじまり。

「なんで、いきづらさがあって、こころが病むんだろう」という問いについて、こたえとなる理屈がみつかった気がする。ことわっておくが、これは、日本社会にいきる、わたしたちについての話だ。世界のほかの国々のことは、しらない。ひとが、こころを病むと…

落合博満からまなぶ、「合理的な思考」について。ただしいバットスイング(素振り)を身につける練習をとおして。

バットスイングの上達のための実践や思考についてのブログ記事ですが、合理的な思考方法をからだ全体で、感覚的におこなうことができるようになることをめざしていますので、教育的な価値におもきをおきながら、よんでいただければ、うれしいです。野球好き…

落合博満(プロ野球選手)の打撃技術本から、からだの感覚をつかむ方法を実践的にまなぶ。

ちょっと風邪をひいていたので、昨日まで、3日、4日ほど、素振りをするのをやめていた。ずいぶん体調もよくなったので、今日から、また再開した。からだをやすめていたためか、今日は割合、よい感じでバットをふることができた感触がある。ブンッ、という音…

からだの感覚をことばで表現することの重要性。落合博満の打撃技術の本から、まなぶ。

よんだひとが、「なるほど、そういう理屈か!」と納得できたり、動作をイメージできるくらいの説得力をもたせるかたちで、自分のからだの感覚について、ことばにして表現することができる。これは落合博満という人間の強烈な個性である。かれは、野球選手と…

こころのこもったことばで、かたりあう。

「……といってくれたひとがいて、こんな自分のことを、人間として、うけとめてくれていたことが、とてもうれしかった。ありがとうって、気もちです。」こんなふうなことを率直にいえる、こころのきれいなひとがいる。このひとのこころのなかには、他者が具体…

YouTubeって、「雑談」や「語り」と親和的なんだから、ファクトとフェイクをあいまいにしか区別しないで発信するのって、本質的に当然のことなので、おこるべくしておこったんじゃないの?オリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTube大学について、おもったこと。

最近、Twitterで、オリラジのあっちゃんのYouTubeが、「フェイクニュース、デマゴギーをたれながしている」と批判されまくっているのをよくみかけます。 www.google.com このことから、表題のことをちょっとかんがえてみたいとおもいました。 =========== 目…

いきづらさの穴をうめるために、ぼくはこんな雑文をかいているのだろうとおもう。

自分自身が、社会のどこにいて、どこにむかっているのか、いまもむかしも、全然わからない。ぼく以外のおおくのひとは、社会という秩序のなかにいて、その秩序にしたがって、あゆみをつづけているようにみえるけれど、実際のところは、どうなのだろう。ぼく…

食事の場で、かたりあう~「自由にまなび、自由に発想し、なにかをはじめる」きっかけ~

ご飯をたべながら、自由に、かたりあうという場をもちたい。場のルールとしては、つぎのものをゆるやかに、もっておきたい。 ○知識だけをひけらかすようなことはしない。 自分という存在からきりはなされた知識を蓄音機から、たれながすようなことはしない。…

飲食店の店主をマスターとよぶか、大将とよぶか。結論は、その店の雰囲気によるのだとおもう。

マスターとよぶか、大将とよぶか。検索してみると、けっこうおおくのひとが、まようみたいだ。おもしろい。画像は、検索結果のスクショである。 ぼくもはじめは、まよった。 いきつけの串かつ屋さんで、不慣れなときは、「大将」と、こころぼそい声でいって…

ひとと上手に、はなす方法について。方言とか、標準語とか

ぼくは、はなすことに苦手意識があるので、つぎのようなことを意識して、はなすという表現の技術を身につけようと努力している。 目次 理性的なはなしかた 感情的なはなしかた 霊性的直覚的(宗教的)なはなしかた 【ノート】※鈴木大拙をたよりに、自己を整理…

肯定することが否定になり、否定することが肯定になったり、ならなかったり。

「あなたは、とてもがんばっているんだね。」って、いわれたから、「そんなことないよ。」って、いってから、「キミのここも、おんなじくらい、すごいとおもうよ。」と、ボクはいった。そうすると、「わたしのは、そんなことないよ。」と、キミはいうものだ…

納得の構造

納得することって、つまり、「ことばをすてることなのではないか?」と、ふとおもった。ふとおもった瞬間、これはたしかなことだと、そんな気がしてきたので、あえて、ことばにしてみよう。納得は、ことばによる理解ではうまれない。その理由として、「こと…

やさしいことばをつかった表現のたいせつさについて。西田幾多郎と鈴木大拙を比較して。

西田幾多郎がどんな仕事をやったのか、ぼくはほとんど、なんにもしらない。西田の文章を何度かよんでみたが、挫折してばかりだ。そんなぼくであるが、西田の友人であった鈴木大拙は、何冊かよんでいて、非常にわかりやすく感じている。大拙のおかげで、仏教…

【書評・読書ノート(鈴木大拙『仏教の大意』)】理性的ではなく、霊性的に選択し、決断する。

「何km、何分」と、分別しながら、まえへ、まえへとはしっている。が、きざまれる時間などはない、無限の時間のなかで、その場から一歩もすすむことなく、とどまりつづけているような感覚が、ジョギングをしていて、たまに、うまれてくる。こういうとき、「…

【書評】鈴木大拙の『仏教の大意』をよんで、かんがえる「自分と他者とのちがい」

午後から神戸で研修なので、梅田の喫茶店で、ちょっと時間をつぶしている。名前をひかえるのをわすれてしまった。マクドナルドのとなりにある、純喫茶風のお店である。 朝昼兼用の食事。オムレツサンドである。サンドイッチをくわえようとすると、たまごが、…

学歴コンプレックスをぶっこわす

こんばんは。今回のブログは、ちょっと趣向をかえてみようとおもいます。自分のことばかりかかずに、だれかの役にたてればいいなっておもって、かいてみました。みなさん、学歴コンプレックスは、おもちではありませんか?ぼくは、けっこうそれがつよくあり…

自分の気持ちをコントロールするための練習について。「感情表現が苦手」とのつきあいかた。

気分とか、気もちとか、感情に分類されるものは、「感じる」ということをしなければ、表現できないとおもうのである。「かんがえる」ということや、論理などという技法に、はしったところで、よほどの文才がなければ、感情は表現することはできず、相手につ…

hide(X JAPAN HIDE)とニーチェからかんがえる「破壊衝動とその表現方法」について

この記事のあと、もうひとつ、他者の価値観を否定して、破壊したいという衝動にかられた文章を投下する。ぼくは、自分のなかにある、この衝動を、正直、もてあましている。ぼく自身の価値基準をみとめるために、そして、まもるために、ぼくの価値基準をみと…

誰かのちからになる「ことば」をたいせつにして、いきていきたい

ことばの世界で、いきていきたい。 ことばをたいせつにする世界で、いきていきたい。 このかたのブログにつづられている「ことば」から、はげまされて、勇気とやさしさをわけてもらえた。そして、なにより、日々をなんとか、やりすごしていくなかで、わすれ…

80点でいい。100点はいらない。20点だけ、あそびのあるゆたかさ

論じるより、たれながす方がおもしろい。性分にあっている。論じると100点をださないと、意味は通じない。たとえ1点でもおとすと、そこからほころびがでてきて、まちがって、つたわってしまう。しかし、たれながすのなら、80点くらいでも、なんとなく通じる…

すきなひとから、自分のことを理解する方法

自分がすきになったひとのことを、丁寧にことばにしたとき、自分のことがすこしわかるような気がする。そういう感じがあることについては、むかしから、ぼんやりとしっていた。ぼくは、「あのひとは、どうだ。」と、ことばにすることが、けっこうすきだ。し…