ひとりひとりの人間が、この社会のなかで、ちからづよく、そして、やさしくいきていくには、なによりも、まず、おのおのの「もののみかた」を確立することが、たいせつなのだとおもわれる。
教育のひとつの役目は、ひとりひとりが、これを確立していくことをサポートすることだとおもう。しかし、教育、特に、学校教育では、これはほとんど、あつかわれていないようにおもえる。戦前の思想教育の反省から、そのようになっているともおもえるが、それだけではないともおもう。そもそも、こういうことについての批判は、戦前からある。
これとか、それとか、おおくて、なにをいっているのかわからない。阪神タイガースの岡田元監督みたいだ。
とにかく、教育の役割には、すくなくとも、つぎのふたつがあるとおもう。
②技術的なこと(論理、知識、知恵・かんがえかた、表現・つたえかた、など)や方法論をおしえること
そして、これらは、階層的になっていて、①が1階にあたり、土台であり、②がその上にたつ建物のようにイメージするとよいとおもう。
先にいったように、学校教育では、どうやら、②のことしか、おしえていないとおもわれるのだ。ぼくは、ここをしくみ化できていないことが、近現代社会の欠陥だと、おもっている。
学校の社会的役割は、やっぱりおおきいので、しっかり①のことをおしえることができる制度と装置をもつべきだとおもうのだ。ここを手ぬきしているから、いつまでたっても、日本の社会は、土台がしっかりせず、地盤沈下しているのだとおもう。
ぼく個人の経験をいう。
ぼくは、どうやら、日本的仏教観にもとづく思考などが、しっくりくるタイプの人間のようだ。幼少のころから、すこしずつ、そういうものが形成されていたとおもうし、青年期に司馬遼太郎をよむようになり、さらに、それがふかまり、ひろがりっていった。青年期後半には、梅棹忠夫や今西錦司をしり、かれらの思索の奥には、日本的仏教観のようなものがあるという感じをつかむにいたった。この感じは、しらべるかぎり、まちがっていないだろう。
ぼくのこのようなタイプの人生観なり、思考パターンなどを発展させていくことをサポートする機会も場も人間も、ぼくがかよっていた中学校や高校には、まるでなかったのだ。同志社大学には、すこしはあったが、しかし、それも、京都とという土壌や新島襄の理念によって、かろうじて、きえずにいる、のこりカスのようなものだった。
いいたいことを最後にまとめると、学校には、「もののみかた」、つまり、"観"をはぐくむ制度と装置と人間が必要だということだ。