「これが一生つづくわけじゃない」
「かっても、まけても、死は平等だ」
「どれだけあがいても、いきつくさきは、みんなおなじ死なのだから、一分一秒に、あせる必要はない」
このような感じのことをおもうと、気がらくになるからと、そうおもえるように意識づけるような人間がいる。
その一方で、なにも意識することなく、はじめっから、うえのようにおもうことができるようになっている人間もいる。
前者と後者とでは、むいている方角はおなじでも、内容はまったくちがうとおもうのだ。
できるかぎり冷静に、差別と平等をうけとめていられる心身をもっていたいとおもう。
情報がますます重要になってくる時代だからこそ、このような感覚を心身が技術的にもっているようになることは必要不可欠なことだとおもう。
いちいち、お寺にいかんでも、まなぶことができる場を学校にもたせることはできないだろうか。学校という場が依然として、「人間を鋳型にはめ、自由な心身の感覚をうばう」機関として、強固なものとして、君臨しているので、どうにか、「差別と平等が、無分別のなか分別される」場を教育的な価値として、ねじこんでみたい。
学校の役割ではないとか、学校なんていらないとかも、おもうこともあるが、ぼくはいまのところ、学校という教育の本流の場で、はたらいているので、ここがぼくの教育のフィールドなのである。
参考
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