表と裏、本音と建前が逆転する世界について

心理療法家が、性風俗で、参与的に研究した記録ってないだろうか。

研究でなくてもよくって、しかるべき資格を有した心理療法家が、性風俗がすきで、その経験を対象化した記録でもよい。

社会学系統では、性風俗をあつかう本は割合よくみるのだけれど、あれはすごくうすい。「おれは性のことをエロ目線ではみていないよ」というウソっぽさが、におうのがよくない。

性風俗の空間というのは、すごく人間くさいところなので、心理療法だったり、人類学的に、もっと議論したらよいとおもう。

そのためには、研究者自体が、性風俗を愛好するお客にならないと、奥の世界まで、みえない。

性風俗の原理原則をつかむには、もっと肉薄した研究姿勢が必要だ。

以下、ぼくの性風俗観をメモする。
きれいにあそぶ客であれば、そして、きれいにはたらいている従業員であれば、すごくふかい空間が、性風俗にはある。


性風俗は表と裏が逆転する。
日常と非日常。
衣服をまとう対人関係と裸の関係。
本音と建前の逆転。
お金と制欲を忌みきらわない。
夢や希望を率直にかたれる。
扉をあけた瞬間的から、妄想と現実の世界がうらがえる。
「あっはん、うっふん」とかあえいだり、お尻をまるだしになっても、恥の感覚がない。むしろ解放され、自由さへ感じることもある。

妊婦さんが従業員をやっている性風俗をしっていますが、ぼくはそこで愛をちょっとしりました。

ホテルをでたあと、段差で、足をつまづかないように、そっと手をさしのべて、エスコートしたとき、すごく自然にできたもの。

ふつう、てれてしまいそうなことを自然な気もちで、できた。

事後だし、その女性とはもうあうこともないので、過剰なサービスだったり、タダで、というスケベな根性でもない。