カテドラルのある風景と記憶

今朝の朝日新聞は、「空海に魅了されたロシア人僧侶」という記事と、ルーツが潜伏キリシタンにあるという長崎県産の「ゆうこう」という柑橘類についての記事が、おもしろかった。

最近、新聞をよむ習慣ができた。ふつうに新聞はおもしろい。哲学者鷲田清一のコラムがたのしくって、毎朝、声にだしてよんでいたら、しらずしらずのうちに、ほかのページにも目をとおすようになった。

ずいぶんと社会化してきたなあと、自分に対して、やや感嘆するほどだ。

話をもどす。

とはいったが、記事について、なにかを寸評する気はない。これらの記事から、おもったことを、いつもどおりかきたいだけなのだ。

長崎には一度いってみたい。
長崎には、なにがあって、どんなものかも皆目わからないけれど、出島のあたりで、ベンチにでも腰かけて、ボーッとすごして、潜伏キリシタンという、ちょっとばかりマイノリティの影がちらつくひとびとのことなどを想像しながら、あてもなく空想してみたい。

そういえば、キリシタンということばには、むかしから、なにか魅力を感じている。

宗教とか、信仰というものに対して、むかしから関心がある。

今朝の新聞にあったロシア人僧侶は、庶民に学校を開放した空海にならい、「地域にひらかれた寺」をつくるのが夢であるという。

こんなことを、ぼやっとおもっていると、カテドラルのある風景ということばを、おもいだした。尚樹啓太郎というかたの著者のタイトルだ。

『カテドラルのある風景』

すごくよいひびきがすることばだ。

などと、おもいだしたけれど、まだ、この本は、かっただけで、よんでいない。

『カテドラルのある風景』という、うつくしい書名については、『中世の町ー風景ー』(著者:鈴木成高)という本に、参考書籍としてあげられていたことで、しった。

『中世の町ー風景ー』は、たしか数年前に、京都の北白川らへんをブラブラと、ひとりであるいていたときに、叡山電鉄一乗寺駅ちかくの古本屋で、偶然みつけたはずた。

とてもおもしろい本だったと記憶している。京都の町中の古本屋でみつけたという出会いが、この本には、にあっていて、それが価値をおしあげている気もする。

いろいろ、おもいだしたものだから、両書をあわててさがしてみたが、みつからない。かなしいかな、本棚が壊滅的な状況なのはいうまでもない。

なんでうまく整理することができないのやって、うんざりだ。

中世の町―風景 (1982年)

中世の町―風景 (1982年)