自分の声がきらいで、すきな歌手の声が自分の声だと、幻想をいだいていた

さてさて、コブクロの「あの太陽が、この世界を照らし続けるように。」を、喉をつぶさずに、熱唱することができるようになったのですが、それはいかにしてなったのでしょうか。

この本を教科書のようにして、いつのまにか、自分の歌声を手にいれたのです。

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

癒える力

癒える力

この変化を説明するには、まずは、ぼくの自分の声に対する、むきあいかたから、はなさないといけません。なぜなら、自分の声を手にいれるためには、以下のことに気づく必要があるからです。

ぼくはむかしから、自分に自信がありません。特に、声に関することに、けっこうなコンプレックスがあります。

小学生の頃、英語教室にかよっていました。その教室では、英語をよみあげたのを録音するという宿題があり、次回に発音をチェックするという学習スタイルがありました。

ぼくははじめてそれをやったとき、録音機からなりひびく自分の声に、すごくショックをうけました。コンプレックスなので、文字どおり複雑なのですが、簡単にいうと、自分の声がすきになれないということを、このときわかりました。

そんなこんなで、ひとまえで、自分の声をだすのが、すごく苦手な少年だったのです。

いいだしたら、きりがないです。
ひとまえにたつと、頭がまっしろになって、ことばをうしなったり、学校で授業中にとなりの席のひととしゃべっていて、先生から「おい、そこ」といわれて、注目された瞬間、あっというまに、声がでなくなったりしました。

このように、自分の声にコンプレックスがあったものだから、その裏がえしとして、声にとても興味があります。

だから、うたうことがすきだったりしたのだとおもいます。

それで、うたいかたですが、モノマネして、うたうのです。

コブクロだったら、黒田俊介小渕健太郎のパートをそのまま、うたいわけようとして、うたっていました。自分の声がきらいだから、自分の声をコブクロにちかづけようと努力したのです。

しかし、素人なので、発声の基礎も、なにからなにまで、できていませんので、うまくいきません。しかも、自分の声から、現実逃避しているわけですので、客観的に、モノマネの声を分析することもできるわけありません。

ぼくは、ずっと、自分のほんとうの声にふりむかずに、「自分の幻想のなかの、自分の声」ばかり、みていたのです。

なので、大学生になっても、自分の歌声は、コブクロにちかいだなんて、バカなことをおもいこんでいました。余談ですが、大学生になってからは、氷室京介のマネもはじめています。

こんな感じの不器用な人間が、竹内敏晴の本をよんで、実践して、自分の声を多少なりとも、手にいれることができたのです。

まとまらないので、また次回。