のびやかな歌声は、だれにもだせるという話

声のだしかた、特に歌声のだしかたについて、かきたいことがあります。

目次

☆のびやかな声は基本的に、だれでも、だすことは可能です

著作権法のせいで、実例をみせることができない

百聞は一見に如かずということばもあるので、一度、カラオケでうたってみたぼくの歌声をきいてほしいのだけど、著作権法がからんでくるので、アップロードすることができません。

ほんまに、不自由さを感じる法律です。

教育機関であれば、引用ということだったり、非営利目的だということで、使用できるのだけど、ブログでは、いくら教育的価値があっても、使用することはできないようです。

親告罪のようなので、アップロードしても大丈夫のようにもおもうが、危険をおかすのは、やめておきます。

後学のため、ブックマークをのせておきます。
maizuru-lawoffice.com

ぼくの歌声を実際におきかせすることができないので、説得力がないのが、つらいところです。
念をおしておきますが、のびやかな声をだすことができるという話でして、自分は歌がうまいということをいいたいのではありません。ふつうに音をはずしますし、声もあやつりきれていません。

ながながとかいても、しかたがないので、本題にいきましょう。

☆なぜ声がでないのか、からかんがえる

声のだしかたは、簡単ですが、それを説明するには、「声をだす」方向とは反対に、「なぜ声がでないのか」ということから、かんがえていくとわかりやすいです。

緊張とか、恥ずかしさとか、理想とか、そういうのがかさなって、自分のからだが、こわばっているからです。それだけです。
「自分の声はこんなのじゃない」とか、「○○みたいな声をだしたい」とか、「もっとうまく、うたいたい」とか、「かっこいい声をだしたい」とか、そういうことを意識しすぎて、からだがかたまって、喉がかたまって、声がでなくなるのです。

たしかに、人間には、音感とか、オクターブとか、いろいろ差異があります。しかし、それはある程度の技術をもっていて、セミプロとか、プロとよばれるような水準になって、はじめて意味をもつ差異なのです。

平均的な人間が、のびやかな声をひびかせることについては、そんな才能の差異は、関係ありません。

人間はもともと、それなりの声をだせるんです。

なぜ、それなりの声をだせないのかというと、おもいこみとか、理想とか、恥ずかしさとか、緊張によって、からだが不自由になっているからです。

☆どうすれば声がでるのか。

基本は恥をかくことです。正直になることです。
「あなたのことが、すきです」と、異性に告白をするのもいい。
「責任のある仕事を、やっていけるか不安だ」と、したしい友人にたよってみるのもいい。

自分が、「どうしても、このことについては、ひとにたよることができないというようなこと」、「どうしても、ひとにふれられたくないようなこと」があることに気づき、しかし、それは本心とは真逆のことである、つまり、本当のところは、ひとにたよりたいこころがあることを感じとり、そして、上のように、相手にむかって、声をだすことが、自分の声を手にいれるための、まず第一歩なのです。

うけうりなので、これでおわりますが、自分の声を手にいれたいひとは、ぜひ竹内敏晴をよむといいでしょう。

からだが語ることば―α+教師のための身ぶりとことば学 (評論社の教育選書 (16))

からだが語ることば―α+教師のための身ぶりとことば学 (評論社の教育選書 (16))