脱うつ病的傾向。とにかく、やみくもにでも、行為することがたいせつ。

「わかったところで、行為しなくっちゃ、なんにもはじまらない。」

というのが、なやむひとが心理学にすがるときの、最後の関門なのだとおもう。

どれだけ河合隼雄をよんだり、アドラーをよんだり、なんだかんだとやってみて、しっていることがふえたところで、自分を治癒させるには、最後のこえるべき関門がある。

それが行為だ。
なにか実際にやってみなくてはいけない。
なにをすればよいか、わからなくても、とにかく、やみくもにでも、やってみないとはじまらない。

このとき、有効な方法として、実際に声にだすことがあげられる。

どもったりして、ハッキリとしたことばで表現できなくてもよくて、ただつたえたい「おもい」をことばにして、声にだしてつたえることが、たいせつだ。

この意味で、カウンセリングという方法が、成立しているのだとおもう。カウンセラーは、ことばにならない声をきいてくれる。

どうしてもつたえたくて、だけど、どうしてもことばにできないとき、人間はからだの「ふるえ」を感じる。

自分を治癒させたければ、ぼくはそのふるえを克服する必要があるとおもう。そのふるえからは、やっぱりにげてはいけない。ことばにしようとしたとき、からだがふるえていたなら、そのことばは、ちからをふりしぼって、最後まで表現しなくてはいけない。

それができたとき、はじめて、治癒という地平がひろがっていく。

「だいすきだ!」とか、「これをしたい!」とか、「なんにもしたくない!」とか、とにかく、つたえたいひとや、信頼していてすがりたいひとなどに、ことばにして、つたえてみることが、治癒の第一歩なのだ。