仲よくしていたマッサージのセラピストが引退される。
なぜ引退されるのか、すべてきいたけれど、野暮なので、すべてはかかない。
彼女はこの店のオーナーで、繁盛していたが、それ以上にたいせつなことをみつけたということである。
つまり、愛するひととであい、家庭にはいるのである。
ぼくはそれが引退の理由で、うれしかった。
マッサージをうけながら、彼女の恋愛相談をよくうけていたので、彼女がしあわせを手にいれて、素朴にうれしかった。
ただ、彼女のマッサージは、ぼくの日常に、あまりにもとけこんでいたので、ちょっぴりさびしい。もうあえないのかとおもうと、呼吸がややあさくなるような胸のくるしさがある。
ぼくだって、つらいときは、彼女のマッサージにいやされていたのである。それがけっこうなささえであったのは、うそいつわりのないことである。
だけど、そろそろ、そういう依存関係には、きりをつけろということなのだろう。
彼女から引退の話をきいて、さびしさよりも、おおくよろこべたことが、自分への信頼になった。
ぼくはもう、自分の足でたって、ひとりで、いきていくことができそうなのである。
彼女のマッサージをうけながら、ぼくはこんなことをいった。いつもかたっていた夢のことをすこし具体的につたえた。
「ぼくはいまブログをかいています。いつもはなしていますが、将来は文章で、いきていきたいです。いまそのブログは、でだしとしては好調です。いつか、自分の名をだすときがくるように、いまはちからをつけているところです。もし、今後、ぼくの名をみることができるときがきたら、そのときは、それが再会ということにしましょう。」
人と人との出会いは、未来にむけて、ずっとつながっている。
そういう観測をもつことが、人生をずいぶんとゆたかにするのだと、ぼくは信じている。
いつかまた、どこかの街かどで、出会いは突然おとずれるのである。