ひさしぶりにまじめなことをかいてみます。
留学には、いきたければ、いけばいい。いきたくなければ、いかなくていい。
回答はこれしかないとおもいます。
まとまりなく、ぼくの意見をいいます。
ぼくは学校のカリキュラムで留学にいくことには、批判的です。
学校のカリキュラムで、ほとんど無理やりに、「海外にいきたくない」人間が、海外にいかされることになるのは、けっこう危険だとかんがえています。
半強制的におこなわれることに対して、「したくない」という気もちがでてくるのは、無意識からのアラートが、見える化したものだとおもいます。
おおげさにいえば、「いまわたしが海外にいくのは危険だ」という感じで、自我がおびやかされている可能性があります。
このような状態で、海外に留学するのは危険です。
夏目漱石がロンドン留学で、神経症になったことをかんがえてみれば、あきらかです。
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「『文学論』の自序のなかで、露骨すぎるほどの正直さでもって、憂憤を吐き出している。まず、留学については気がすすまなかったこと。〜略〜たれがこんなとこにきたかったか。〜略〜むろん、神経症的発言かと思われる。」
どうも夏目漱石は、国家の命をうけて、ロンドン留学をしたことには、あまり気のりしていなかったようです。これが理由で、憂憤がたまり、神経症になり、自我がぐらついたのです。
司馬遼太郎も、強制的に、国から軍にとられて、中国出征することになりましが、そのときの回想からは、なかば強制的にいかざるをえない海外経験の危険さを感じます。
漱石、司馬は、かれらの精神の豊潤さをおもうと、特異な例であるかもしれませんが、しかし、ぼくはここから、「いきたくないのに、海外留学にいくこと」からは、危険さを感じます。
みのりのない無駄な支出になるだけでしょう。
結論をいいます。
「したい」という気もちと素直にむきあうことができなくて、コントロールでないような、自我がまだ確立されていないような状態で、「自分の気もちに反して、海外留学にいくこと」は、自我をゆがめ、うつ病を発症させるか、あるいは、ゆたかな国際性など醸成することはできず、かえって狭隘な人間性をもたせることになり、排他的な人間になるようにおもいます。
以上、留学には、無理をして、いく必要はないという話でした。