司馬遼太郎は、ぼくに司馬史観をあたえてくれた。しかし、司馬は、ぼくに、司馬史観しか、あたえてくれなかった。これは16歳から22歳のころの話である。
23歳のとき、ぼくは梅棹忠夫にであった。梅棹忠夫は、ぼくに、知がひろがっていく世界をあたえてくれた。
梅棹忠夫をしってから、ぼくは、かわった。たとえば、本のよみかたがかわった。司馬遼太郎や梅棹忠夫以外の固有名詞、つまり、作者の名を意識するようになった。
梅棹忠夫以後のぼくは、「司馬史観のための知」ではなく、「知のための知」の世界があることをしった。そして、もっというと、「世界のひろがり」のことをしった。
梅棹忠夫と出会ってからのぼくは、梅棹忠夫に出会うまえの自分では、道ばたで、すれちがうことすら、不可能であった人々と、関係をもつことができている。さいわいにも、未完成のぼくではあるけれども、仲よくしてくれたり、気にかけてくれる人々に、めぐまれている。
だから、ぼくは梅棹忠夫のことが、すきだ。いくら感謝しても、ものたりない。梅棹忠夫が、「すでに、しんでいた」ぼくを、いきかえらせたのだ。
ぼくにとって、梅棹忠夫とは、このような、特別の位置にいる人物なのだ。
しかしながら、ぼくの人生においては、司馬遼太郎がいたからこそ、ぼくは梅棹忠夫と、であえたのだ。これは事実であり、ごまかすことのできない真実である。
司馬遼太郎は、ぼくに、はじめは、司馬史観しかあたえてくれなかった。しかし、司馬史観が、ぼくにあったからこそ、梅棹忠夫とであえたのである。司馬遼太郎の思想への理解があったからこそ、梅棹忠夫の思想に、なんのつまずきもなく、はいっていくことができたのである。
梅棹忠夫さんと司馬遼太郎さんの、それぞれの著作などをおえば、たがいに、尊敬しあっていたことは、あきらかである。
やっぱり、ぼくは司馬遼太郎によって、みちびかれている。
そして、梅棹忠夫によって、ぼくはささえられている。
これが、ぼくのアイデンティティの核なのである。
- 作者:梅棹 忠夫
- 発売日: 2020/04/09
- メディア: 単行本