自己変革活動のひとつとして、角田光代のエッセイ『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』をよみはじめた。おもしろそうだから、というわけではなく、なんとなく女性作家で、恋とか夢とか、そういうキーワードで、よんでみようとおもったのだ。
いざよんでみると、内容があるのか、ないのか、わからない。意味があるのか、ないのか、わからない。しかし、それがおもしろい。スルスルッと、よんでしまうが、ふとしたときに、「そういえば、なにかあった気が…」とおもって、ふりかえって、なにかころがっていなかったか、さがしはじめるような感じでよんでいる。
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そういえば、おもいかえすと、意味ばかり、おいもとめて、本をよんでいた気がする。司馬遼太郎の本は、意味ありげにかかれているので、根こそぎ、意味をほりかえしてやろうって感じで、よんでいたような気がする。はじめのころは、ただただ没入して、司馬遼太郎をたのしんでいたのに、いつしか、意味をさぐるよみかたに変化してしまって、なんだか、司馬遼太郎をよむことがしんどくなっていた。これは梅棹忠夫の本にも、おなじことがいえる。はじめて梅棹忠夫にふれたときは、「なんや、この発想は!なんなんや、この『文明の生態史観』って!」みたいに、ただただワクワクせんがために、よみふけっていたのに、いつしか、「これをよまなきゃ、かしこくなれない」みたいな感じで、意味をさぐって、ふかよみしようとばかり、つとめてしまって、苦痛にかわっていた。
本題にいかず、読書の話になってしまった。余談がすぎた、と司馬風にいってみて、話をもどす。
自己変革活動についてだ。自己変革活動がうまくいくための核心にあるのは、素直な気もちで行為するなのではないかと、いいたかったのだ。すっかり、わすれるところだった。
結婚も、恋も、夢も、目標も、正直なところ、あんまり興味ない。いや、興味がないというと、ややウソがあるかもしれない。うまくいえないけれど、世俗的なことに、真剣にとりくみたくないような気もちが、ぼくには多少あるのだ。世俗と真剣にむきあいたくなくて、アウトボクサーみたいに、距離をとりたいのだけれど、しかし、ひとなみには、しっておきたいという好奇心もあるという、ややこしさ。
そういうわけなので、自己変革活動のひとつとして、愛だ、恋だ、夢だ、希望だという、「できれば、さけてとおりたい世俗的なもの」に、積極的に、ふれてみている。桂正和の『I"S』、『電影少女』ときて、つぎは角田光代だ。角田光代の小説も手にいれたので、このつぎに、よんでやるつもりだ。
それで、『I"S』や『電影少女』なんかをよんでみて、ああいうふうに、「がんばって」、ひとをすきになって、うごきまわるということが、どうにもできないと、おもったのだ。ああいう感じの「ほれた、はれた」の心境になるには、自分の目のまえにニンジンをつるしたり、お尻をムチでひっぱたいたりしなくてはいけないようなしんどさを、まずはじめにおもってしまった。自分に対して幻術をもちいて、幻想をみせて錯覚させているような感じがあるとさえおもってしまう。絶対、どこかで電池がきれるように、「やーめたっ!」って、全部放りなげてしまいかねない不安がある。
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はじめから、まとめる気はないけれど、これ以上支離滅裂にするのもアレだし、文字におこすのも、つかれてきたので、そろそろ着地したいところに、着地して、おわりたい。しかし、着地できるか心配だ。
自己変革活動のカギは、「素直な気もちが、にぎっている」と、さきにかいた。上にかいたことが、ぼくの素直さなのだけど、それをまとめてみると、「相反することが、おなじくらいのつよさで、併存している」ということだろうか。その相反することとは、つまり、「世俗へのあこがれ」と「厭世的な気分」だ。
分別くさくいうと、この二面性を素直にうけいれて、うまくコントロールしていくことがたいせつなのだろう。しかし、この二面性を社会だったり、だれかに、理解してもらいたいというところが本音だったりする。
おお、ここまでかいて、ようやく、ほんとうの素直さがでてきたような気がする。
「厭世的な気分」があるくせに、「世俗へのあこがれ」がつよくて、そして、そういう感じをまわりにみとめてほしいという欲求をもっているというのは、ようは「わがまま」だということだ。なるほど、よく、自分のことがみえてきた気がする。
自己変革活動のいきついたさきが、「わがままにいきる」ことでは、あまりにもダサいので、なんとしてでも、夏目漱石のいう自己本位とか、そういうかっこいいかたちにまとまってほしいものだ。