誰かの研究対象になるような、一次資料としての文章
そろそろしっかりしたくて、一次資料みたいな文章をかくのをやめて、ととのった文章をかこうという意識をもとうとした瞬間、なんにもでてこなくなる。ことばをうしなってしまう。
ところで、今日は、ことばにしないという方法で、ひとつ結果がでた。ぼくが、彼の話をききつづけたことが決め手だとおもっているけど、彼というひとりの人間の様子がかわった。
なんかよくわかんないけど、これまた一次資料的なことをかいている。
自分のことばをすてて、相手のことばで、かたりかけることで、その人間を変化にみちびくことができるのだ。たぶん、それがカウンセリングの技術なのだとおもう。
なんかしらんが、ひとりの人間が、人間として、みちがえたように、みせたことのない表情をみせてくれた。