ぼくの文章から、ハードボイルド風味がすると感じられたかたがいる。
おもってもみなかった評価なので、不思議な感じだ。しかし、いわれてみれば、そんな気もする。主題とは関係ないけれど、他者から評価されるというのは、率直にすごくうれしかった。
ちなみに、その評価をうけたのは、つぎの記事だ。
百科事典でしらべてみると、なるほど、自分にはたしかに、ハードボイルドな一面があるかもしれない。
ぼくは「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」というような願望が多少あって、そのために、自分のことを言語化するというあそびを、ここ数年ずっとやっていたりする。
自分が感じたことをそのままの感じで、目のまえに、ことばで表現することができれば、最高だ。そんなわけで、特に、泥酔したときなどは、前後不覚になりながらも、相当な集中力で、文章をかいていたりする。
このあたりなどには、たしかに、ぼくは自分に対して、そこそこハードボイルドなところがあるといってもよいかもしれないとおもう。
ところで、「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」ということだけど、これを文章で表現するにはどうしたらよいだろうか。
なにか文章にしたいことがあっても、その対象だけをまな板にのせることは、ぼくはたのしくない。その対象のことを文章にしつつも、そこには「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させる」ということが主題になっていなくては、たのしくない。ようは自分のことを表現したいのだ。しかし、自分のことをかくといっても、私小説的なくさい感じはだしたくないのだけれど、こまったことに、文章をかく技術がないものだから、そのはざまで、右往左往している。
とにかく、自分のかく文章が、ハードボイルドだと評価されたのは、おもしろい気づきになった。
ハードボイルドなんていうと、石原軍団みたいな感じをイメージしていたので、とてもじゃないが、あんなのはゴメンだとおもっていたけれど、しらべてみると、文章表現において、ハードボイルドというのは、ああいうのとはまたちょっとちがった感じがした。