相手からいわれて、はじめて気がつく自分のあたらしい一面

ぼくの文章から、ハードボイルド風味がすると感じられたかたがいる。

おもってもみなかった評価なので、不思議な感じだ。しかし、いわれてみれば、そんな気もする。主題とは関係ないけれど、他者から評価されるというのは、率直にすごくうれしかった。

ちなみに、その評価をうけたのは、つぎの記事だ。 

hide-himuro.hateblo.jp

kotobank.jp

ハードボイルド - Wikipedia

百科事典でしらべてみると、なるほど、自分にはたしかに、ハードボイルドな一面があるかもしれない。

ぼくは「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」というような願望が多少あって、そのために、自分のことを言語化するというあそびを、ここ数年ずっとやっていたりする。

自分が感じたことをそのままの感じで、目のまえに、ことばで表現することができれば、最高だ。そんなわけで、特に、泥酔したときなどは、前後不覚になりながらも、相当な集中力で、文章をかいていたりする。

このあたりなどには、たしかに、ぼくは自分に対して、そこそこハードボイルドなところがあるといってもよいかもしれないとおもう。

ところで、「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させたい」ということだけど、これを文章で表現するにはどうしたらよいだろうか。

なにか文章にしたいことがあっても、その対象だけをまな板にのせることは、ぼくはたのしくない。その対象のことを文章にしつつも、そこには「自分という人間を"自分"からきりはなして、存在させる」ということが主題になっていなくては、たのしくない。ようは自分のことを表現したいのだ。しかし、自分のことをかくといっても、私小説的なくさい感じはだしたくないのだけれど、こまったことに、文章をかく技術がないものだから、そのはざまで、右往左往している。

とにかく、自分のかく文章が、ハードボイルドだと評価されたのは、おもしろい気づきになった。

ハードボイルドなんていうと、石原軍団みたいな感じをイメージしていたので、とてもじゃないが、あんなのはゴメンだとおもっていたけれど、しらべてみると、文章表現において、ハードボイルドというのは、ああいうのとはまたちょっとちがった感じがした。