根をはった土地をはなれるさびしさ

下痢がひどく、微熱がある。おもいあたるふしはある。金曜日にたべた牛肉のユッケとレバーだ。もう金輪際、魚の刺身をのぞいて、どんな生肉もたべない。


最近はずっと、比較的健康であることがつづいていたので、11ヶ月ぶりに、おおきく体調をくずしている。以前、鶏の刺身をたべて、あたったときには39.5度をこえる発熱と下痢に嘔吐と、散々な目にあったが、それとくらべると、今回のは全然ましではある。倦怠感はあるが、バットの素振りでもしようかとおもえたりもするのは、あるいは本当に体力がついてきたあかしなのかもしれない。


とはいいつつも、やっぱりからだがしんどいのは、たしかである。からだがしんどいと、悲観的になる。ねいってから、一度目がさめてしまったいま、目をつむるとネガティブなことをかんがえて、気にしてしまう。3時ころに目がさめて、いまはすでに5時である。こころの健康をたもつためには、からだの健康が必要なのかもしれない。


一人ぐらしをするというかたちで、ライフスタイルを変化させようとしているが、ちいさなストレスがかかっているみたいだ。からだがよわっているいまだからこそ、このちいさなこころのゆれをとらえることができたようにおもう。


ぼくはいますんでいる土地に、しっかり根をはって、いきていたみたいだ。ここ数年のあいだに、どうやらそういういきかたをやっていたみたいだ。地下鉄の改札をでて、階段をのぼり、地上にでたところには、いきつけの串かつ屋さんがあり、ラーメン屋さんがある。串かつ屋さんのマスターとは、何度も何度も人生のあれこれをかたりあい、いきる活力をはぐくんでもらった。また、友人の男女ふたりが同棲しており、平日か休日かをとわず、何度も家にまねいてもらい、たのしく食事して、すごした。


この土地から、自分自身をひきはなすことがつらい。串かつ屋さんのマスターのところに、帰宅途中に、フラッとたちよることができなくなることが、さびしいのである。


とおくはなれた土地にいくわけではないので、おおげさな感じかたをしているのだとおもう。しかし、ちいさなストレスの質は、こういうことなのだとおもう。

野球(スポーツ)と人生をゆたかにする出会い。キャッチボールというコミュニケーション。

グローブ(軟式用)をかった。藤浪晋太郎モデルだ。デザインも質感も、みた瞬間、はめた瞬間、直観的に「これや!」とおもった。
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先週の日曜日に購入手続きはすませていたが、お店に型づけを依頼していたため、手もとにくるのは今日だった。まちどおしかった。こんなにワクワクする1週間は、ひさしぶりだった。1日おそいクリスマスプレゼントだ。今年1年、しっかりがんばった自分へのごほうびだ。がんばったのはなんだというと、むろん、野球だ。


野球をがんばってよかったと、こころからおもう。すでに、グローブとボールがあれば、十分にコミュニケーションをとることができるようになっている。キャッチボールをして、球筋を感じて、かたりあうことができるようになってきた。


今回、グローブをかったお店は、ベースボールランド友井という野球用品店だ。バッティングセンターと練習場が併設されている。


店頭で、グローブをうけとったあと、店員さんから、「キャッチボールをしましょうか?」と、もちかけられた。サービスで、グローブの感触をたしかめることを手つだってくれるみたいだ。




「ピッチャーやっているんですか?」

「いえいえ、30歳になった今年からはじめたので、全然。なにかグローブがほしくて。直観的にこれやとおもったんです。」

「いまからでも十分に、うまくなれますよ。」


「いい球なげますね!いつからはじめたんでしたっけ?」

「今年からです。はじめはバットをふっていて。ボールをさわりはじめたのは9月くらいですかね。それまでは小学生以来やっていないくらいの感じです。いい球なげるでしょ?いっしょにやっている友だちにも、ようおだてられるんです(笑)」

「ほんまにいい球きてます!」

「はじめたのはすこしまえですが、スクワットとか、股関節のトレーニングとか、そういうのはけっこうやってますよ!仕事おわりに、毎日2時間前後くらい!」

「それやったら、体幹もできてるでしょうし、うん。からだもひらかずに、きれいに回転できてますし。」

「ほんまですか!?なんか野球っておもしろくて。性格でますよね。ピッチャーをやりたがる性格なんやって気づきました(笑)だから藤浪選手のグローブをかったんだろうな(笑)」




野球のよさ、スポーツのよさを日に日に実感している。スポーツをとおして、世界がひろがってきている。キャッチボールをするだけで、さっぱりとこころをかよわせることができたり、ゆたかなであいがうまれるのだ。すばらしいとおもう。

自分に勝ついとなみ。

きのうは、すこし体調がわるかったが、夜になると、おちついてきたので、しっかり運動した。坂道ダッシュを5本、立ち幅跳び15回を3セットおこなったあと、250mダッシュを3本おこなった。2本目がおわった時点で、呼吸はみだれているし、脚はつよい疲労を感じていた。あまりにしんどかったので、一瞬、「なにをやってんねん、こんな一生懸命。アホらしい。」とおもったが、予定どおり3本目も、はしりきった。自分に勝利した瞬間だ。


自分に、かつ。


たたかう相手は、いま、この瞬間の自分だ。


たとえば、体育などは、こういう発想でおこなうものだろう。この発想をもってやれば、からだも、こころも、きたえられるのだ。

はじめてのバッターボックス。練習と実戦のちがいを感じる。

きのう、はじめてバッターボックスにたって、ピッチャーがなげるいきた球をうった。練習だが、10球ほどの勝負で、ヒット性のあたりは1本、のこりはボテボテのゴロやポップフライに、ボール球をみきわめたり、という内容だった。


ヒット性のあたりは、初球だった。内角すこしたかめのストレートをうまくレフト方向に、うちかえした。そのあとの打席の内容をみれば、ビギナーズラックのようなヒットだったが、自然に反応しており、うったかたちはよかった。内角にきたボールに、うまくからだをひらいて反応し、腕をたたみぎみにバットをふりだし、ミートした。


この打席で、ぼくのバッターとしての個性は、自然にからだが、ひらいてスイングするというところにあることがわかった。この個性は、内角をさばくときに、いきる。しかし、これだけでは、よいバッターにはなることができない。外のボールをつよくうつことができないはずだ。からだをひらかずに、バットをふりぬくフォームを身につけることが必要だ。練習では、からだをひらいて内角をさばくという、実戦での個性をころさないことにつとめつつ、からだをひらかないうちかたをつよく意識することが重要になってくる。


練習と実戦はちがうということをすこし経験できたことは、おおきな収穫だ。あたらしい感覚をあじわうことができた。


落合博満 バッティングの理屈―――三冠王が考え抜いた「野球の基本」

落合博満 バッティングの理屈―――三冠王が考え抜いた「野球の基本」

  • 作者:落合 博満
  • 発売日: 2015/07/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

新庄剛志の希望と閉塞感ただよう日本社会

新庄剛志と契約する球団があらわれない日本のプロ野球は、不甲斐ない。これほど甲斐性がないとは。これで、ますますプロ野球人気は停滞していくだろうとおもう。千載一遇のチャンスをみずからのがしたということを10年後くらいに、気づくんだろう。


チャレンジした人間をもりあげようとする機運がそだたないことが、残念だ。成熟しすぎたためなのか、ずいぶんと型にはまった社会になってしまった。オープン戦までに結果がでなければ契約解除とか、いろいろやりようはあっただろうに。


ここがアメリカ社会とのちがいで、アメリカのよさがうきぼりになるところだ。大リーグなら、柔軟な契約をやっていただろう。日本人が大リーグで活躍できなくなってきたのは、日本の野球に、ゆとりがなくなってきたためだ。新庄と契約しなかったことで、それがあきらかになった。


アメリカ讃歌したいわけではないので、アメリカのひどさがわかる本を紹介しておく。100年単位で苛烈な人種差別がおこなわれているのが、アメリカ社会の現実だ。


日本プロ野球よ、日本社会よ!
管理化をすすめてばかりおらず、人間をたいせつにしろ!
新庄剛志が、わたしたちにあたえてくれた希望をうけとめなくて、未来があるのだろうか!

2021年の我慢と2022年のチャレンジ、そして、2023年からのあたらしい人生。

22年に、おおきくジャンプするために、最後の助走のために来年はすごそうか。来年一年、自分をみがきあげて、22年は勝負をする。そして、23年に、ぼくは野球選手というあらたな一面をもって、これまでにない人生をスタートし、人間を探究する道をこころざす。梅棹忠夫たちがそだててきたことを継承する道を、自分をごまかさずに、誠実にあるく。


そのためには、ぼくは来年の8月ころには硬式球をにぎってきなくてはいけないし、試合の経験を10回、11回としていなければいけない。そして、肉体的には、運動神経も筋肉も、ドテドテとうごく、なんちゃって野球おじさんの域を脱して、高校球児のように、しなやかなバネをもっていなければならない。また、精神的には、勝負の世界のきびしさにたえうるだけの覚悟をもたなければならない。土俵上で、変化の技にたけているだけでなく、がっぷりよつの相撲をとれるだけの"格"を、その精神の柱にもたせなければならない。


まよっている暇はないので、すぐにきめた。まようくらいなら、せめるべきだ。自分の性格上。


来年は、八戸ノ里か、小坂のあたり、つまり司馬遼太郎のすんでいた土地で、ひとりでくらす。そういう一年にする。これは、やっぱりやってみたいことだ。司馬遼太郎が、根をはって、ぼんやりと妄想しながら、散歩したであろう小道を、ぼくもあるいてみたい。


来年やることがきまった。来年は、野球選手になるための練習と司馬遼太郎がいた土地でのひとりぐらしだ。


京都への移住は、そのあとだ。梅棹忠夫の足跡をたどるのは、そのあとだ。たのしみは、まだまだあるのだ。なんと贅沢な人生だろう。


それにしても、年々、つぎの年のテーマを意識するタイミングがはやくなってきている。よいことだ。

"自分"にとって最適なマインドフルネスの方法について

ソフトバンクホークス選手で、元メジャーリーガーのムネリンこと、川崎宗則さんが、マインドフルネスについて、動画でかたっています。

 


「悩みは放置!仕事も早く辞めろ!」心がラクになる川崎宗則(ムネリン)の教え

 

川崎宗則さんのマインドフルネスの方法は、お風呂にはいって、呼吸に集中することみたいです。

 

マインドフルネスは、基本的に「呼吸に集中する」ことがたいせつなのですが、呼吸だけに集中するということはなかなかむずかしいので、ぼくは「呼吸に集中できる"なにか"をしながら」という方法をもつことが、ベストなのだとかんがえています。

 

ぼくの場合は、「野球の練習とその一環としての筋トレ」なのだと気がつきました。

ちょうど昨日、このような日記をつけています。

 

「なんかやっぱり微妙にこころのチューニングがくるっているが、まあ、これまでどおり、集中して、筋トレと野球の練習をできているから、問題ないだろう。

なるほど、気がついたが、野球の練習とその一環としての筋トレは、ぼくにとってはマインドフルネスの最適な方法みたいだ。」

 

臨床心理士河合隼雄さんなどは、スポーツをすることをすすめていますが、「スポーツは自分の呼吸に集中できる手段」なのだと、ぼくは解釈しています。からだをつかって、呼吸に集中して、こころをととのえる。心身の統一です。

 

川崎宗則さんは、この動画のなかで、つぎのことをいっています。

「いつもつづけるカードよりも、やめれるカードを一枚もって、仕事をしてほしい。やめれるカードを一枚もっているだけで、ホントに自由に身体がうごく。思考がうごく。仕事も人間関係も、フワッて、また見方がかわる。」

 

この発想は、おそらくマインドフルネスの特訓によって、身についたことだと、おもいます。これについては、また次回かんがえてみたいとおもいます。

 

 

マインドフルネス瞑想入門

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