「とりあえず、すぐ行動」のたいせつさをぼくなりにつたえたい。

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ほんとうはこんなことやめてしまいたい。

ほんとうはこんなことやめてしまいたい。

だれが、すきこのんで、自分のこころの声を、こんなところにさらしたいだろうか。

こんな恥さらしなことはないだろう。

ほんとうは、ぼくはだれかに身をゆだねてしまいたいし、なんにもかんがえたくもないし、なんにも感じたくもないのだ。

 

やらざるをえないから、やっている。

しかし、やらざるをえないから、やっている。

それで、いざやってみると、わかることがいろいろふえた。「ほんとうはこんなことやめてしまいたい。」ということも、やってみてわかった。

 

行動するから、ひとはかわる。

行動してしまったものだから、徐々に環境がかわってきた。

受身の人生だったのに、主体的な人生にかわりはじめた。

具体的なことをいう。

これまでは、だれかから、お酒にさそわれるのをまっていた。それが、自分から、ひとに声をかけて、人数をあつめて、お酒の会をセッティングするようになった。お酒にさそってよ光線をひとから、あびせられたりするようになったのだ。ぼくが、だれかをさそうしか、ないという状況ができた。

また、自分では、ひとをさそえないから、さびしくっても、ひとりでたえていた。だけど、いつのまにか、今日、「お酒をのみにいこうよ」と、自分から、さそうようになっていた。

なんかお酒ばかりやな。

行動できないひとへ

行動できないひとは、「なにを行動したらよいのか」が、そもそもわからないのではないだろうか。まずは、ホリエモン(堀江貴文)さんのYouTubeをみてほしい。


目標の具体性をあげろ【前田裕二×堀江貴文】

「だれかのために、だれかをたのしませることをやりたい!」みたいな理想はえがけるけれど、実際になにをするのかとなると、ぼやっとしたことしか、えがけなくなる。

「だれかをたのしませるってことは、芸人がいい。だけど、ヨゴレ芸とか、ああいうのはちがうな。もっとMCみたいな、全体をたのしませることをしたい。だったら、プロデューサーかな。でも、ADからはじめる必要があるのは・・・」

実際になにをやればいいのかというのが、えがけないというのは、やったことがないのだから、あたりまえだ。特に就活生なんかは、社会のなかで、どっぷり仕事というのをやったことがないのだから、えがけなくて、あたりまえなのだ。

だから、ホリエモンが「即、行動しろ」というのは、ただしいのだ。実際に、やってみなければ、わからないのはあたりまえだ。

じゃあ、なにをやればいいのか?

ホリエモンはすごく親切に、こたえてくれている。
みなまでいう必要はないとおもうけど、友だちをさそって、お酒をのみにいったり、映画をみにいったりすればいいのだ。

さそって、ことわられて、傷つくことをおそれるな。

傷つくのも、あたりまえ。

理想を現実にえがくのなら、傷つくことが、やっぱり必要なのだ。

ことわられても、また、次回さそえばいいし、それか、ほかのひとをさそえばいい。

もし、さそえる友だちがいなかったら、友だちをつくりにいけばいい。それ自体が、「行動」なのでしょう。

もっと具体的にいおう。
もし、なにをやればいいのか、まだわからないひとは、夜空にむかって、「ああああーーー!」とさけべばいい。そして、警察官に、しっかりおこられよう。

ぼくはそういう衝動は、たいせつだとおもう。

人間には、ことばにできない衝動がある。

その衝動によりそって、いろいろ行動してみれば、そのうち自分のやりたいことにつながる具体的なことをが、かならずみつかるはずだ。

 

あわせて、つぎの本をよむことをオススメします。

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)