同志社大学と夜の世界

やはり、仙水忍の苦労は、はてしなかったのだ。

お金でなんとかなるやとおもったが、ところがどっこい、そうはならなかったのだ。夜の蝶には、夜の世界の世間があったのだ。

タクシーがつかまらないらしいけれど、なんてこった、こりゃ、そういう建前なのか、ほんとのことなのか、神のみぞしる世界なのだ!たぶん蝶たちは、いそがしいのだ!しかし、ぼくも、まてぬ!

今日はいきつけの串カツ屋さんでも、一度遭遇したことのある、「いつも息子さん自慢をするおじさん」との間合いをはかりながら、お酒をのんでいたのだけど、ひとり酒も気苦労がたえないじゃないか!どこにいっても世間なのか!

夜の世界の蝶だからといって、お金でなんとかなると、おもうことなかれ!経済現象を見える化している「お金」こそが、ひとのこころに巣くい、幻想の呪文をとなえ、まどわしてくる魔物なのだ!

とりあえず、いまは、予定を白紙にもどして(※もともと予定などたてていない。)、べつの居酒屋に梯子して、ひとりで、たわむれている。

場合によっちゃあ、夜の蝶には、ことわりの連絡をいれるけれど、これには、多少良心がいたむ。一度いくといったものだから、いかねばならぬのじゃないか?と、わがジキルとハイドは葛藤しておるぞ。

そういえば、新島襄は、脱国する寸前に、仙台か、どこか、その辺の地方都市で、夜の世界の蝶に、いれこんでしまって、すってんてんになったらしい。これは、同志社がからんだ刊行物である『新島襄
(岩波現代文庫)に、著者和田洋一がかいていることなので、たしかだろう。

なんでもよいけれど、この本で、著書は、「同志社は、新島襄が、夜の蝶にいれこんでしまって、すってんてんになったことを黒ぬりして、かくしている」とあばいていたのが、痛快だった。

新島襄 (岩波現代文庫)

新島襄 (岩波現代文庫)