自己実現のための自己表現と引退したAV女優について、おもうこと。

AV女優という職業人には、どこか影がある。

性をあつかった表現は、アウトサイダーにとっての自己実現のための自己表現だったりするので、影はそこからうまれるのだとおもう。

エッチをして、「ああーん、いやーん」と、気もちのよいおもいをして、お金をかせいでいるわけではないことを理解しなくてはいけない。その表現は、そもそもからして、快楽とはべつの根から、うまれていることであり、それ自体が、すごく重大な行為だったりする。くわしくは、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』をよんでほしい。

彼女らは、たとえば、身体性を回復するために、ああいう表現をしていたりするのだ。これは、性風俗につとめる女性にも、いえる。臨床心理士にかかる女性で、性風俗につとめているひとは、割合おおいという事実がある。

なぜ、彼女たちが、性に関する表現をおこなうのかというと、それは「なにか自己にとって、かけたものをさがす」という欲求があるからだ。それが、意識外の、とらえどころのないところから、わきあがっているはずなのだ。

それで、表題に関して、引退したAV女優が生存報告などをおこなうことの意義についてだが、ぼくはこれは、とても重大なことだとおもうのだ。

ぼくは自分のことをアウトサイダーだとおもいこんでいるので、自分とおなじようなアウトサイダーが、社会にいることをとてもこころづよくおもう。コリン・ウィルソンが、のべているところだが、たとえば、ヘルマン・ヘッセは、アウトサイダーであり、かれの小説は、単なる小説的表現ではなく、アウトサイダーにとっての自己実現のための自己表現なのだ。ぼくはヘッセをよんで、自分が、アウトサイダーとして孤独に死んでゆく存在から脱することができるのではないかと、希望をあたえられるのだ。

この点で、AV女優の表現にも、ヘッセの小説と、にたものがある。

たとえば、ぼくは、むかしから、夏目ナナさんのことが、すきだ。なぜ、彼女のことをすきだったのか、この雑誌をみて、わかった。
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夏目ナナさんは、この雑誌の最後に、幼少のころの写真をのせている。雑誌は、基本、性的な表現に終始しており、文字どおり、裸の自分を表現しているが、その最後、自己の過去まで、赤裸々に表現している。これを自己実現のための自己表現といわずに、なんといえばよいのだろう。

それで、「夏目ナナさんは、いまごろ、どうしているのだろう?」とおもうことが、たまにあったが、Twitterもブログも更新はとまっている。そんななか、最近、高橋がなりYouTubeで対談しているのをしった。それをみた感想としては、あいかわらず、うつくしい。しかし、当時より、すこし雰囲気かわっている。大人びていて、ずいぶんまるくなった印象があり、雰囲気がややスピリチュアルな気もしないでもない。自分がなにものなのかしったような、よい感じの印象がある。

【高橋がなり】#41⇒元ナンバー1AV女優・夏目ナナが高橋がなりにガチ相談に現れた!【まえむき人生相談】

もう一度いうが、AV女優も、ヘッセとおなじなのだ。

引退したAV女優が、こうやって、元気に、いきているすがたをみせてくれることは、「アウトサイダーが、自己実現のための自己表現をおこなったさきに、どのように、いきていくのか」というかたちを提示することであり、とても重要なことだとおもう。

最近では、桜ここみという女優が、引退後、5年ぶりに、Twitterを更新していた。

とてもおおきな仕事をやっているとおもう。

アウトサイダー (集英社文庫)

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Nana―夏目ナナ1stムック (バウハウスムック)

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シッダールタ (新潮文庫)

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  • 作者:ヘッセ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1959/05/04
  • メディア: 文庫