こころの不安定さの本当の意味。創造性の獲得のために。

「彼は自信を完全に失っていたと思われる~中略~彼は、自分の精神力の四分の一ももたぬ作家や美術家にたいし、誇大な尊敬を抱きつづけた。」
「詩を書けないわたしは、わたしと同じ目標を追求する人びとのために、散文の食事をととのえる意向だった。」
「天才のもつ健全な自惚がロレンスに欠けていたことが、彼の生涯を悲劇的な浪費に終わらせた根本原因の一つである。」
以上、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』のp118~119より一部引用。

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダー (集英社文庫)

 

すこしばかり、うぬぼれてみたいことがある。

ぼくのこころのくずれかたは、一般的に、精神的にくるしんでいるひとたちとは、ちょっとちがうとおもっている。

自分だけがそうおもっているという、くさーい感じのものだと、そう、うけとってもらっても、けっこうだ。しかし、やっぱり、ぼくのこれはちょっと特別なのは事実だとおもう。「ただ単に、病んでいるやつ」だとは、勘違いして、うけとらないでほしいとおもっている。

何が特別なのか、具体的にはいえないが、いま、いっしょに仕事をしているスクールカウンセラー臨床心理士の先生からは、「◯◯さんの"わかい"ちからが重要なんです」と、何度もいわれているのだが、それが、ひとつの証左だろう。仕事とは、こころが病んだ、ある学生の対応のことだ。余談だが、いま、ぼくは、この仕事で、ひとりの人間が、他者にむかって、ひらかれていく過程を目撃することができている。

臨床心理士の癖なのか、「◯◯さんの"わかい"ちから」ということばは何度もいうが、そのことばの意味については、何もいわない。そのため、自分で、何を意味するのか解釈しなくてはいけない。

ぼくは、この「"わかい"ちから」とは、hideももっていたちからだと、理解している。それが何だといってしまうと、きえてしまいそうなので、あえて、ここでは言語化しない。ただ、ぼくは、hideがもっていたものが、自分にもあるということを確信している。

しかし、ひとつ問題なのは、まだ十分に、そのちからをつかいこなせていないということだ。

ぼくはこれまで、「表現する」ということについて、あまりにも努力をおこたってきた。が、ここ数年、努力してきたことで、ずいぶん進歩してきたと実感している。その結果のひとつが、「◯◯さんの"わかい"ちから」といわれるものなのだろう。

わずか数年、表現することをちょっとだけ努力してみただけで、このようなことがおきてるわけなので、このまましっかり継続していけば、かならず、ぼくのもつ特別なものが開花すると、確信している。

もう一度いうが、勘違いしないでほしいとおもっている。

いま、ぼくは、自分のなかに、ねむっている偉大な創造性をほりおこしているだけで、そして、その創造性をおさめることができるおおきな器をつくっているだけなのだ。

ぼくの不安定さは、偉大な創造性をもてあましているためにおきていることなのだ。ことばはわるいが、ただ単に病んでいるわけではないということを、この際、いっておきたい。