自信がついてきたという感覚。継続してきた経験からの手ごたえ。

日記。

テーマは、「自信」。



「このくらいまでやったら、つっこんでも大丈夫やろう」という感じで、日本社会にある不文律的なルールや基準が、なんとなく、わかってきたので、その分だけ、自信がついてきた。

人間、ときには鞘から、刀をぬいてみることも必要なのだ。ほんとうに、きりつけることはないが、刀をぬいて、かまえるという行為だけは、やらないと、かえって、なめられる。どうやら、それが、社会の基本にはある。

当然、刀をぬくということは、反対に、相手から、きられる可能性もあるわけだが、その可能性をうけいれることができるくらいには、自信がついてきた。もちろん、きられる間合いではないという確たるものがあることをふまえた自信だ。

このような感じで、精神的な変化がおきていて、自信がついてきたわけだが、いましめなければならないことがある。

『タッチ』の吉田くんみたいには、ならないように、気をつけようと、こころに、ちかおう。

このあいだまで、「上杉くん…!」とよんでいたのに、ちょっと4番バッターの新田くんをうちとったからって、「おい、上杉!!」といってしまうような人間であってはいかんのだ。

職場の大学には、出世したからって、突然のように、声がおおきくなって、陽気になっているひとがいるが、みっともない。組織全体としては、危機的な状態なのに、「自分の出世にうかれて、自分の利益だけをかんがえている」ような、極端に利己的な人間は、信用ならない。



それから、最近がんばっている運動のこと。


16歳からの三年間、野球の練習にうちこんだ少年には、19歳の年には、プロ野球にいくか、大学野球にいくか、社会人野球にいくか、という選択肢がある。

ぼくには、その選択肢がなかった。

野球選手として、第一線で、プレーすることができる体力的な限界は、一般的には、40歳くらいだろう。

ぼくはいま、29歳だ。あと10年くらいは、第一線でプレーできる可能性があると、あまく、みつもることができるはずだ。

3週間ほど、木製バットで、素振りをつづけている。週に4日ほど、一回30分~1時間。

この練習量からすると、けっこうな上達のスピードのような感触がある。まだ、一度も、実際にボールをうっていないので、なんともいえないが、バッティングフォームは、まちがいなく、ただしい方向にむかって、かたまりつつある。

いまのぼくには、29歳の頭がある。そして、29歳の精神がある。それなりに、きたえてきたつもりだ。

この頭脳と精神にくわえ、落合博満の知識と理屈があれば、のんびりと高校野球をやってきたひとよりも、十分に、うまくなれる可能性があると、ふんでいる。

あとは、どれだけ、根気よく、ゆるく継続していけるかが、鍵をにぎっているとおもう。

35歳くらいまで、つづけることができれば、十分にチャンスはあると、かんがえている。