社会的にいきるのはめんどくさいことがおおい。

責任ってなんなのだろう。

「ひとを裏ぎらない」ということが、ぼくは責任だとおもう。

マイノリティで、よわい立場のひとが、こまっていて、たすけてほしいといってきたら、手をさしのべる。これが責任だとおもう。手をさしのべたからには、たとえ自分が不利益をこうむろうが、手をつくすことが、責任だ。ここは無責任になってはいけない。

もうひとつは、ぼくのことを信頼して、この仕事をしてほしいと、こわれたことには、責任がともなうとおもう。


しかし、ぼくは自分が信頼していない人間には、責任をとりたくない。

「理事長に報告する仕事だから、がんばって資料をつくってくれ」だって?

オレは理事長から指示されていないし、お前のことをあまり信頼していない。

そんな仕事に、オレは責任をとりたくない。バカバカしい。

なんか、うまくことばにできないな。

とにかく、ぼくは自分の気もちがのらないことには無責任でいたい。信頼できない人間からの仕事なんて、いくらたのまれても、まともに注力する気はおきない。

そんなぼくをうまくつかえなくって、おどし文句をはきながら、半強制しようとするくらいなら、クビだといってくれ。

クビだともいえない、理事長の顔色うかがいばかりする乳くさい上司とは、いっしょに仕事はできない。

責任というのは、組織のために、とるものではないのだけは、たしかだと、いいきって、この記述をおえる。