朝日新聞の2月22日の朝刊の「折々のことば」という欄に以下のことばがあった。そこから引用する。
<情報は正確なときに真理となり、詩は自立したまとまりを持つときに真理となる。>
これはE.M.フォースターのことばであるという。(E.M.フォースターとは、いったいだれだ。)
そのあとに、哲学者の鷲田清一の解説がつづく。
<情報については誰がどこで目撃したかが重要。だからそこには署名が必要だ。が、詩は逆。重要なのは誰が書いたかではなく、目の前の事象以上に「本質的」な世界を生みだす作品そのものであって、作者も読者も、それに「創造的」にかかわる時、作者が誰かはもはや問題ではない。~以下略~>
ブログにかぎらず、文章をかくときには、この軸をもつといいとおもった。
自分のかく文章が、情報なのか、はたまた、詩なのかによって、かきかたが、ずいぶんとちがってくるはずだ。
註釈としてつけくわえておくと、なにもこれは、「情報or詩」という二元論をいっているのではない。
情報←ーー○ーー→詩という横軸があって、どちらによりかかっている文章なのかということを意識するという意味だ。
当然、中庸的な文章がある。
情報側の文章は、新聞や論文。詩側は、当然詩であり、小説。中庸は、エッセイ、随筆ではないかとおもう。
ぼくは自分の文章、ブログを中庸的なものにしていきたいとおもっている。