学校という足かせ、母校という愛着と憎悪

高校の同窓会の案内が、Facebookでまわっている。卒業後10年たつらしいけれど、いわれてみて、はじめて気がついた。あのころから、なんにもかわっていない。むしろ、退化している気もする。

同窓会ね。まあいかない。いちいち意思を表明する必要もないし、そうすることが、かえって意識しすぎで、くさいともおもうけれど、「いかない」といいたいから、いっておく。ひとりで、ブツブツと、いっているだけなので、なんの問題もないだろう。だいたい、「みんな」ということばがあるけれど、その「みんな」に、ぼくはふくまれていないとおもっているので、無関係の人間が外野で「いかない」などと、さわいでいても、なんの問題もないだろう。どうせこんなもんだろう。

以上が、同窓会案内をみたときにでてきた、率直な負の気もちなのだけど、ついでなので、率直な正の気もちも、かいておく。

ぼくもひとの子なので、「高校時代」という思い出をだれかと共有したいというのが本音だ。だけど、同窓会なんかにいっても、「そこには、自分はふくまれていない」と意識にはそうインプットされているので、どうしようもない。だれかと共有するためにアウトプットできる思い出がそもそもないのだ。あの当時、もうすこし、まともな人間であれば、よかったなあと、とても後悔している。

かいてみると、あまり正の気もちでもなかったみたいだ。ほとんど、全部、負だ。

ところで、「いかない」と、はっきりと、ことばにできている自分は、ちょっとまえより成長しているとおもう。

高校の同窓会なんかに、いったところで、ほぼほぼたのしめないことは、わかっているのだ。たのしかったことなんて、ほとんどおぼえていないので、参加できる話題もないだろうし、居心地のわるさをごまかすために、よえないお酒を無理やりのんで、よっぱらった演技をしているだろうという画が、簡単に想像できる。会費もたかいだろうとおもうし、きっとバカバカしい気分で、かえり道をあるいているはずだ。どうせたかい会費をはらうのなら、夜の蝶や居酒屋のオッサンと、無意味なお酒をのむ方が数倍たのしいとおもう。

こんなふうに、わかりきっているのに、なぜいってみたくなったりして、すこし気もちがゆれるのかというと、それは「自分も、ひとなみに、高校時代という思い出をもっている」ということをたのしんでみたいからだろうとおもう。にげだしたいくらい苦痛でも、にげだすことができず、どれだけ不快でも、つくりわらいの演技をしつづけなくてはならず、うんざりするくらい、にがくて、まずい味の毎日だったけれど、それでも学校生活を歯をくいしばって、おくっていたわけなので、たのしかったものとして、思い出をもっていたい願望がたぶんある。それは妄想でしかないのだけど、真実だと信じていたかったりする。

ぼくは「同窓生のみんな」のなかに、自分はふくまれていないとおもっているけれど、おなじように、自分の学校生活という思い出(をもちたいという願望)のなかには、具体的に顔をおもいうかべるようなひとは、ほとんどいない。妄想のなかの同窓生の顔は、ほとんど「へのへのもへじ」だし、ひさしぶりにあったところで、ほとんどなつかしいという気もちも、おこらないとおもう。

それくらい、バカな態度で、高校時代をすごしていたので、いまさら10年といわれたところで、なんの意味もないなあというのが、一番率直な感想だとおもう。

作文が下手くそなので、わかりにくくなっているけれど、同窓会がたのしくおこなわれて成功することをいのっている。個人に対してどうのこうの、いっているのではなくて、学校(同窓)というまとまりのしんどさのことをいっているつもりだ。ああいうあつまりのなかで、「みんな」とくくられたときの居心地のわるさがあることをいっているのだ。

「もうすこしまともな人間であって、ゆたかな学校生活をおくり、ひとなみに学校生活の思い出をもちたかった」という後悔が、たぶんつよいので、なんだかんだと、高校のことに、こだわっているのだとおもう。自分でつくった妄想のなかで、たのしくなったり、くるしんだりして、のたうちまわっているだけなのだ。そろそろ目をさますべきだとおもうので、肥大化してしまっている母校という妄想は、すてさろうとおもう。というわけで、「同窓会なんかには、いかない」という意思をあえて、ことばにすることで、きれいさっぱりわすれてしまうきっかけにしようとおもう。

それにしても、よいタイミングで同窓会の案内がきた。それが10年のおもみなのかな。「おもうところを、とりあえず、ことばにする」というこころみの第一期の決算に、この雑文がなるような気がしている。

母校よ、アディオース。これでおしまい。