おもったことをことばにするという実践と並行して、じっくりかんがえたことをことばにするということも実践していこうとおもう。
じっくりかんがえたことをことばにするということは、あまりじっくりかんがえすぎると、話がふくらみすぎて、収拾がつかなくなるので、テーマをたてて、そのテーマをさらに小テーマごとにくぎって、という作業をやる必要がありそうだ。
これは、おもいつきをのがさずに、ことばにするということとは、全然ちがうちからが必要だ。
というわけで、これまでやったことを簡単にまとめてみる。
Facebookやブログに、おもったことをかくという行為は、「梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』を自分なりにアレンジして、実践的にやってみよう」というかんがえをもちながら、やっていた。以下、自分なりのアレンジと実践的ということについて、かいておく。
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1969/07/21
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もうひとつ、自分のアレンジがあって、それは「Facebookやブログに、ながながと、うだうだと、そして、項目をわけずに、ごちゃまぜにして、記録する」というところだ。『知的生産の技術』には、情報カードというかぎりのある紙面に、ひとつのまとまりをもつ項目ごとに記録するということを原則にしている。ぼくのは、そこからは逸脱しているけど、まあ自分の力量をかんがえると、これで十分だ。形式にとらわれて、やらないより、形式から逸脱してでも、やる方がよいだろう。
つぎに、実践的ということだけど、これはつまり「こころの治癒のために、他者にむかって、ことばで表現する」ということだ。Facebookやブログに、文章をかきはじめた、もともとの目的は、これだ。「おもったことをことばにする」とか、「こころの変化をのがさない」というのは、つまり、この目的のための実践だ。はじめは河合隼雄の知恵だけをかりてはじめたけど、すこしたって、河合隼雄のエッセイから竹内敏晴をしり、志向性のちかい協力者をえて、飛躍的に治癒がすすんだと実感している。
ぼくがFacebookやブログに蓄積してきた文章は、こういうかんがえによるものであり、だから、はじめから一次資料的にかかれているものなのだった。
このつぎ、どうしようかというと、冒頭にもどるのだけど、具体的な方法が頭にはない。だから、ことばがきえるのかもしれない。ひさしぶりに、『知的生産の技術』をみかえしてみよう。