社会人基礎力というのは、つまり産業人基礎力のことだろ?

社会人基礎力とは、いったい何なのか、いまだに、わからないから、ちょっとながいけれど、経産省のホームページから引用する。

「社会人基礎力」とは、「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」の3つの能力(12の能力要素)から構成されており、「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」として、経済産業省が2006年に提唱しました。

人生100年時代」や「第四次産業革命」の下で、2006年に発表した「社会人基礎力」はむしろその重要性を増しており、有効ですが、「人生100年時代」ならではの切り口・視点が必要となっていました。
こうした状況を踏まえ、平成29年度に開催した「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」において、これまで以上に長くなる個人の企業・組織・社会との関わりの中で、ライフステージの各段階で活躍し続けるために求められる力を「人生100年時代の社会人基礎力」と新たに定義しました。社会人基礎力の3つの能力/12の能力要素を内容としつつ、能力を発揮するにあたって、自己を認識してリフレクション(振り返り)しながら、目的、学び、統合のバランスを図ることが、自らキャリアを切りひらいていく上で必要と位置づけられます。

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これは、社会人基礎力とはいうべきではなくて、「経済人(産業人)基礎力」というべきだとおもうのだけど。

社会とは、もっと重層的で、多様なものであるはずだ。

山極寿一さんの『父という余分なもの』をよんでいると、社会を構成するものには、すくなくとも、①食事と②労働と③性がある。まだ、半分くらいしかよんでいないので、ノートのかわりに、記録している。

経産省のいっている社会人基礎力は、②のことしか、いっていない。社会人というのは、そんなチンケなものではないはずだ。

社会人とは、「誰かといっしょに、たのしく歓談しながら、食事をとることができるひと」であり、「毎日いっしょにはたらく仲間や消費者などのしあわせを、ねがいながら、世界に、はたらきかけることができるひと」であり、「愛する異性(同性でもよい)とともに、愛する家族をささえていくことができるひと」なのではないのだろうか。

なんか、世のなか、どこにむかっているのだろうかと、おもってしまうなあ。つまり、社会人基礎力というのは、「国家の経済をささえる産業人になれ」っていう圧力のことだとおもうし、これの根底にある思想は、あのくらい時代と、何にもかわっていないとおもうのだけど。だいたい、これは、企業にも、学校にも、底流しているものだとおもうのだけど、なんていうのか、みんな、ほんまに、こういうのが、すきなのかね?