明日から仕事だ。かなしくて、すこしだるい。なんか全然ちからがはいらない。しかし、まあ、ゆるりと、はりきっていきましょうか。
お盆休暇は、結局、毎日お酒を必要以上にのんでいた。休肝日など、どこふく風といった感じだった。1回だけやらかしてしまったお酒があって、たいへん不快だったが、あとは、とてもたのしくお酒をのめた。だいたい誰かといっしょだったが、ひとり酒もあった。
お酒ばかりのんでいたわけではないが、お酒中心ではあったので、だいたい夜には、夢か現実かわからなくなって、朝はやや二日酔いでボーッとしていた。だから、まるで胡蝶の夢のようであり、9日夜にねて(※9日は、朝4時まで、のんでいたので、ねていない。)、今日17日の朝に目ざめたような一週間だったので、めちゃくちゃはやく時間がたった気がしている。
お盆休暇のはじまりは、友人ふたりと釜山へいき、その後は朝活ジョギングをしたり、なんかいろいろやっていて、充実していた気はする。しかしながら、あそぶこと以外は、なーんにもやっていなくて、ずっとなまけていた。今後、どうやって、はたらいていくかとか、なんにもかんがえずに、ずっと、わらって、たのしく、すごしていた。
わずか一週間だったが、無目的に、のんびりと、すごすことができて、よかった。無目的的であることが、ぼくには、やっぱり性にあうみたいだ。
たぶん、いま多少だるいのは、明日から、また目的の世界にかえらなければならないとおもうからだろうとおもう。
そういえば、梅棹忠夫さんには、『わたしの生きがい論 人生に目的があるか』という本がある。本書の底流には、老荘の思想がある。2015年、大学卒業後、就職し、わずか2ヶ月で退職したあと、ブラブラと街をあるきながら、本書をよんだが、「人生に目的はない」という人生観があってよいのだとしって、すくわれた。
ぼくのような「人生(いきること)の下に、労働(はたらくこと)を位置づけてしまっている」人間には、利益追求とか、志願者獲得とか、大学の維持発展とか、そういう目的的なものが軸になっている集団では、やっぱり息がしにくいのだ。
『わたしの生きがい論 人生に目的があるか』をよみちがえているところも、おおくあるような気もしているが、まあ、とにかく、ぼくは目的的には、なんにもやっていけないのだ。
3年間、目的の世界で、がんばってみた結果、これ以上やっても、先がみえなくて、くらい気分になってくることが、わかった。自分のたち位置が、よくわかってきたので、これはおおきな収穫だとおもう。
ぼくの、これからのライフスタイルは、おそらく、「無目的的に」というのが基本になってくるような気がしている。というよりも、「無目的的に」というのを基本にして、生活を3年くらいやってみたい。
- 作者: 梅棹忠夫
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