行為と妄想をかきのこしていくところ

心身の問題などに興味があります。「自分のこと」をことばで表現することで、こころのゆたかさをはぐくんでいます。このこころみのひとつひとつが、だれかのちからになっていたとしたら、とてもうれしいです。

目のみえかたひとつで、意識はかわる。

きのう、メガネを新調した。

まえのメガネでは、視力が0.5もないくらいだったが、あたらしいメガネは1.0に視力を調節したので、よくみえる。

近視はあんまりすすんでいなかったはずだが、とにかく乱視がひどくて、よくみえていなかった。あたらしいメガネをかけて、視界がとても鮮明なので、ちょっとおどろいている。

ひとの顔が、よく識別できる。シワまで、みえる。これほど鮮明に、ひとの顔をみたのは、ひさしぶりだったみたいだ。「電車で、むかい側にすわる乗客は、こういう顔をしているのか」と、はじめてみる風景のようであり、にわかに、世界がひろがったような気がしなくもない。

ただ、よくみえることは、たのしいことばかりでもないような気がする。

いままで、みえていなくても、十分に生活できていたわけなので、みなくてもよいものまで、みているのではないかとおもったり。情報過多の時代、みるものは、すくなくてもよい気もする。

また、よくみえる分だけ、他人の行動が、いちいち気になる。電車に、ひとをおしわけ、わりこんで乗車してきた人間を、そのにくたらしい表情まで、はっきりと認識してしまうため、不快感がわりましになっている気がした。

まあ、そういう屁理屈は、この際、どうでもよくて、乱視がない視界というのは、こんなにも、つかれないものだとは、気づかなんだ。

なんか視界が良好になって、おおげさだが、実存的に、自分という存在の現在地がかわった気がしているので、たぶん、目のみえかたひとつで、意識はけっこう影響をうけている気がする。

たぶん、身体感覚って、そういうものなんだろうとおもう。