テレワークがうまく機能しない理由がわかった。日本の組織風土は場に依存しすぎていて、個人の仕事に対する主体性が希薄だからだとおもう。

昨日の夜中に、さんざん、職場をやめるとかいったり、もうずっと仕事をしていなくてキリギリスになってしまうとか、いっていたわりに、仕事をあたえられれば、わりと真面目に、とりくんでいる。


さっき指示があったので、真面目に、在宅で仕事をしている。昨日は、というか今朝の4時にねたのに、ちゃんと9時半ころから、指示があった仕事をしている。元気である。


しかし、指示がなければ、特に自分の仕事ではないとおもっているので、積極的には、所属組織の仕事はやれていない。まあ部署異動があって、仕事がかわって、なんにもしっていないから、課題を設定できないのも理由としてはあげられるとはおもうが。とはいうものの、基本的には、怠惰である気がしてならない。


たぶん、これは規律の問題だとおもう。「所属する職場にいって、上司の指示や命令のもと、はたらく」という秩序が、必要なのだ。これが近代人の生活様式なのか、それとも、文明のちからによって、かいならされてしまっている結果のか、とか適当なことをおもってみたり。


いまいち、ピンとはこないところもあるが、自宅勤務では、うえの秩序がくずれてしまっているから、おちつかないんだとおもう。なんというか、日本的な感覚をぼくは、しっかりもっているような気がする。所属する組織という場に、むすびついた秩序のなかでの仕事をこの4年ほどは、中心にやっていたのである。仕事そのものとむすびついた秩序ではなかったのだ。


自宅勤務やテレワークを秩序づけるならば、たぶん、ある程度、綿密なコミュニケーションをはかる必要があるというのが、気づきだ。そもそも、場にこだわっていた、かつての働き方は、場につよく依存するかたちであり、仕事に対する主体性は、あんまりなかったのだ。なので、場がきえたいま、その場を仮想的にもつためには、人間のコミュニケーション能力にたよっていくしかない。はげましあったり、ときに、きびしく叱責したり。


個人の主体性まかせの働き方では、このテレワーク導入期では、きっと、うまくいかない。なぜなら、これまで場への依存によって仕事がなりたっていたので、仕事に対する主体性は、ほとんどはぐくまれていないからだ。


ところで、管理社会の強化に、むかってほしくないなあとおもう。健康観察の報告とか、すごくうっとうしいもん。風邪っぽさではない、しんどさについては、報告しにくい感じがあるし。しかし、これは、そうなると想像しやすい。場に依存するちからがつよい論理があるので、コミュニケーションがその場の論理によって、なされたとき、簡単に管理化にむすびつくとおもうのだ。