ちょっと気づいたことがある。
意識的にも、無意識的にも、めちゃくちゃ感情的にいきているわけだけど、喜怒哀楽のうち、喜怒楽はすごくはげしいのに、哀はまったくといってよいほど、でてこない。
これはそもそも自分の欠陥なのか、そのうちでてくるのか。どちらともかんがえられる気がする。
感情的に行為しまくっていて、喜→楽→怒と感情表現がはげしくなってきたので、つぎは哀がでてくるのかもしれない。もうじき、号泣しながら、酒をのむ日がくるのだろうか。
しかし、同時に、もはや、ほんとうにかなしむときはやってこないような気もする。10歳のときに、おばあちゃんの死に直面して、かなしみつくしたような気もする。
おもいかえせば、ほんまに、おばあちゃんの死以降、かなしいという感情がでてきたことがないような気がする。かなしいという感情のかたちが、想像できない。
かなしいという感情のかたちをしったときに、なにごとかが完成するような気もするけれど、どうだろう。