hideさんへ。2018年5月2日、hideさんとの20年後の出会いのこと。。
hideさん、こんにちは。
あなたにであって、もうじき1年がたちます。ぼくはあなたが旅だってから20年後に、あなたのことをしりました。正確にいうと、もうすこしまえに、あなたのことをしってはいましたが、あなたの存在を、意味として、ハッキリと、しったのが、去年のいまごろだったのです。
ぼくはあなたの存在の意味をしるまえ、夢のことをかんがえたり、勇気のことをかんがえたり、すきって感情のことをかんがえたりしていました。どうしたら、自分の気もちによりそって、自分らしく、いきていけるのか、パズルの最後のピースをみつけあぐねていました。
あとすこしで、ジャンプできそうなのだけど、どうしてもジャンプできない、そのもどかしさが、hideさんの音楽をきいて、なくなりました。
『ROCKET DIVE』と『ピンクスパイダー』と『ever free』の三作をのこしてくれて、ほんとうに、ありがとうございました。
自分の気もちに素直にDIVEする勇気のことも、挫折からにげずに事実を直視しつづける精神タフさのことも、そのさきにある普遍的な自由のことも、あなたの音楽がなければ、ぼくはずっと理解することができなかったとおもいます。
ぼくに、行動するちからをあたえてくれて、ありがとう。であった瞬間、ぼくをやさしくつつみこんでくれて、ありがとう。ぼくのやりたいことを色彩ゆたかに、えがいていてくれて、ありがとう。
大すきです、hide。
ぼくはあなたが、この世から旅だって、20年もあとに、存在をしりましたので、ぼくには、あなたの実体がつかめないままいます。あなたには実像がなく、ひとびとのこころのなかにいきる、なにか普遍的な存在のようにおもえます。
実体のあるあなたに、あうことができなかったことをおもうと、すこしさびしさがあるのはたしかですが、だけど、死後にであったことが、かえって、ぼくにはあなたの普遍性を敏感にキャッチすることができているような気もします。
hideさん、あなたは、人間のことを音楽にしてきました。しかも、その人間のことを、「自分という人間」をふかくほりさげることで、えがきだしていました。あなたは、なにかの雑誌のインタビューで、「自分のことしか、詞にできない」といっていましたし、音にのる詞のひびきが、聴き手のこころに直接的にひびいてくることからも、これはたしかなことだとおもいます。
変なことをいいますが、あなたのその創造のスタイルだからこそ、『ROCKET DIVE』と『ピンクスパイダー』と『ever free』という偉大な三作をのこしたあと、あなたは死の世界へと旅だたれたのだと、おもえてなりません。
5月2日のあけがた、「この曲に、説得力をもたせるには、こうするしかないんじゃないか?」って、あなたはふかく酒によい、無意識に接近したときに、真剣に、そして、深刻に、かんがえられたのではないでしょうか。
「いきること」をこの三作は、これ以上に表現しようがないくらい、表現しきっています。ふつうなら、これで満足するのだろうけれど、あなたほどの偉大な創造性をもった人間には、満足できなかったのでしょうか。
商業音楽として、十分すぎるほど、聴き手のこころをゆさぶるものですが、「いきること」をあまりにも、あざやかに表現してしまったために、なにかそこに、「ウソっぽさ」を感じていたのではないでしょうか。
なにをいっても、ぼくの想像でしかないけれど、この想像には、「いまをいきる人間」の本質がありそうな気がしてならないのです。
きっとhideさんの死は、事故でも、自殺でもなくて、「創造がきわまったところに、死があった」ということなのだとおもうのです。
うまくいえないけれど、「いきること」をうたった曲を、「自分のこととして」うたうには、「いきることの裏にある死」を創造するしかなかったのではないかとか、おもうのです。
あなたが、みんなのこころのなかに、いきつづけているのは、こういうところが理由かなって、おもっています。