マインドフルネスのこと、など。

ぼくのなかには、おそらく、極右ポピュリストなんかに、煽動されると、うっかり感化されてしまいかねないあやうさが、たしかにあったはずだ。

「あったはず」と、過去のことにしているのは、この2週間ほどで、「自分は、自分のものさしをもっている」と納得があって、もはや、自分のあやうさに、ビクビクする必要がなくなってきたのだとおもえるからだ。

それで、いま、ふとおもったことがある。

ぼくは、20歳代後半から、ほんとうに、よきひとたちとであってきた。かれらが、ぼくのなかにあるあやうさを、かぎとっていたのかどうかは、わからない。しかし、ぼくは、20歳代後半から、であってきたひとたちによって、"ただしい道"にみちびかれていたような気がしている。つねに、ぼくの頭の一部には、かれらからなげかけられたことばや、ものごとに対する姿勢などがあった。自分のなかで、どうしてもやらざるをえない"あやういこと"があって、とにかくぐちゃぐちゃでも行為しなくてはならないときも、いつも、かれらとの関係からうけとったことから、おおきくはずれないように注意していた。結果としては、おおきくはずれていることもあっただろうが、すくなくとも、意識のうえでは、はずれないように、つとめていた。

最近になって、突然のように、不安定な心的なエネルギーと安定的に、つきあっていくことができるようになってきた。そういう手ごたえが、多少ある。これは、感覚的なものではなくて、テクニックとして、もつことができていることもある。我流のマインドフルネスみたいなものだろうか。なんだったら、不安定で、強力な内的なエネルギーを外向的な方向へ転換して、活動のためのエネルギーとして放出できそうな気さえしている。おちこんでいるときにこそ、やたらと、はしりこんでいたという経験から、つかんだ感覚とテクニックかもしれない。

とにかく、これから、すごくおもしろくやっていけそうな感じがある。それでは、ねる、おやすみなさい。